私はこうして会社を辞めました(49)―白、黒そしてグレー
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 風見が木津にメッセージを託し、9年前古田部長の暗黙の意思表示を受けてあの問題の「十か条」を私に手渡したことを認め、謝罪した。しかし、その直後、私がその件を関係者匿名で自分のブロ…
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私はこうして会社を辞めました(48)―「十か条」の暗雲
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 1週間後、私は、古田部長に呼ばれた。「なぜ、このような文書を、上司の私を飛び越えて社長に出したか?」、冒頭一番の質問だった。 「はい、理由は四つあります。その一、社員就業規則…
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私はこうして会社を辞めました(47)―上司と先輩を崇拝せよ
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 個人崇拝といえば毛沢東、金日成とスターリンの御三家、彼たちはちゃんとした主義と思想と貫禄を持っているが・・・ 「上司と先輩を崇拝せよ!」、一瞬、私が自分の目を疑った。 ある日…
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私はこうして会社を辞めました(46)―宴会芸が出世道か?
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 東京。2000年1月5日、ロイター・ジャパン帰任後の初出勤。 日本語だ!職場は日本語で充満している。6年間の駐在生活、職場は英語と中国語だけだった。ここ、ロイターとは言え、日…
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私はこうして会社を辞めました(45)―さよなら香港
S. Tachibana
<前回> (敬称略) さよなら香港 1999年秋、私の東京帰任の内示が出た―2000年1月1日付ロイター・ジャパン勤務。 6年間の海外生活で、東京は、私にとって近くて遠い存在になった。東京の空はど…
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私はこうして会社を辞めました(44)―アルハンブラ宮殿の残照
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 99年夏、ポルトガル・リスボン近郊コスタ・ド・ソル(太陽海岸)の小さな漁村で 上海と香港の仕事はそろそろフィナーレを迎え、そして新たな旅立ちが・・・1999年夏、このような予感…
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私はこうして会社を辞めました(43)―旅立ちの時が来た
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 香港駐在中最後の旅、ロシアのモスクワ大学前 99年、木津が香港に着任してから、私の負担が徐々に軽減した。彼は吸収が早く、英語も物凄いスピードで上達した。しばらくすると、一人で顧…
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私はこうして会社を辞めました(42)―木津さんとの出会い
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 98年秋、バリ島ウブドゥで療養中 98年後半、私の体調が優れなかった。香港着任直後、すぐに大きな風邪を引いた。業務の重圧でとても休む余裕がなく、そのまま仕事を続けたが、ぜいぜい…
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私はこうして会社を辞めました(41)―香港とマカオの思い出
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 自宅の窓から望む香港のビジネス街 私は、跑馬地(ハッピーバレー)にマンションを社宅として借りた。路面電車の始発(終着)駅の直ぐ横にある高層マンションだ。日本人にお馴染みで、あの…
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