問A:「あなたは、誠実ですか?」
答A:「はい、誠実です」
問B:「あなたは、嘘をついたことがありますか?」
答B:「?」
さあ、どう答えますか?
「嘘をついたことがない」といったら、それが嘘になり、答Bそのものが嘘となり、さらに「不誠実」で答Aまでも否定する。
では、「嘘をついたことがある」と答えたら、どうだろうか。答Bは問題ないが、答Aを否定することになる。いやでもちょっと違うのではないか。少なくとも、「嘘をついたことがある」ことを認める行動は誠実だ。
ここでジレンマが生じる。「嘘をついたこと」は不誠実だが、「嘘をついたことを認める」ことが誠実だ。一体どうなっているのだろうか。
世の中にはいろんな嘘がある。悪意の嘘、善意の嘘、有害の嘘、無害の嘘、意図的な嘘、無意識の嘘、ついてはいけない嘘、つかなければならない嘘・・・。一生を通じて人間は必ず何かしらの嘘をつく。この客観的な事象を真正面から捉えることこそが誠実ではないか。
嘘をつく人間よりも、嘘をつくことを認める人間のほうがよほど誠実だ。
私自身も過去たくさんの嘘をついてきた。人生の後半はなるべく嘘をつかずに、いやなるべく少なく嘘をついてやっていこうと決意し、またそのように実践している。
で、嘘をつかないでやってみると、いろんな人を怒らせることに気付く。さらに、嘘よりも本当のことを言うと、もっとたくさんの人が怒る。友人を失うし、顧客をも失う。ここで、私は嘘の社会的効用を再認識するようになった。もちろん、自分のやりかたを改める意思はまったくないが・・・。
世の中、嘘をつかないのが犬だ。人間は嘘をつくことで生き残る。犬は嘘をつかないことで生き残る。だから、人間は人間にもたない「嘘をつかない性」を犬に求め、犬を愛する。