嘘つきの学問

<前回>

 嘘つきの話の続き。嘘をつくのがとっても難しい仕事だ。つじつま合わせが大変だからである。特に細かい部分、ディテールの構成が難しい。

 嘘であるが故に、虚構の要素(ありもしない「事実」)を論理的に結び付け、ストーリーに合理性を持たせるために、脚本家や小説家の素質が必要だ。

 辛うじて作り上げた嘘はその場でうまくつけたとしても、そのつじつまが虚構であるが故に忘れるのである。後日、「あ、そういえばあのことは・・・」ととっさに突かれるとすぐにボロが出る。

 そこで1つの嘘を裏付けるために、2つ目や3つ目の嘘をつかざるを得ない場面もしばしば。さらに複数の当事者がいれば、嘘の連鎖と三次元化で手に負えなくなる。

 それ故に、嘘をつくには、きちんと紙に原案を起こす必要がある。メモを取っておかないと、後々大変なことになる。論理性と芸術性を兼備する天才でないと、良い嘘はつけない。

 私自身が嘘をなるべくつきたくない理由の1つは、嘘つきのコストがかかることである。その分、嘘をつかなければ何時でも、誰に対しても同じことを言えばいい。発言の標準化によって人生コストの削減が実現する。

 面と向かって、「あなたは嫌いだ」と言ってしまえば、裏でいくら悪口を言っても表裏一体なわけだ。ついに、あるお客様にも言われた――。「正直、立花さんの性格が好きではない。でも、仕事を頼んでいるからといって好きになったわけではない。仕方ないから頼んでいるだけですよ」

 嬉しい、嬉しい。嘘つかずに本音を言ってくれるほど嬉しいことはない。私も答える――。「私も、あなたに好かれるつもりはありません。だから私が嫌いなまま、仕事を依頼し続けてください。それだけでいい」

<終わり>