禁煙政策の戦い、民度向上と国政理性化

 この世の中、すべての民主主義制度下においては、あらゆる政策に対し、つねに賛否両論がつきまとい、互いに戦う。

 たとえば、禁煙喫煙の問題、全面禁煙政策をどう評価すべきか。すると、タバコ会社や居酒屋経営者、愛煙家が反対、嫌煙者や嫌煙団体は賛成、という構図が浮かび上がる。

 一人ひとり個人個人各自の嗜好、立場、観点、利益、価値観があっての意見を積み上げるのもそれなりの意義がある。ただ、それを超越し、特定の政策が社会全体に与え得る好影響・悪影響・損得を複眼的に中長期的に評価してみると、違う景色が見えてくるはずだ。

 たとえば、全面禁煙政策を実施すれば、タバコ会社や飲食業が数万名の労働者をリストラする。すると、「あなたたちは、タバコを作っていた、喫煙幇助をしていた加害者だ。クビ切られても文句は言えん」と面と向かって彼たちに言えるのだろうか。

 中に路頭に迷った末、とうとう生活保護受給者になる人も出てくる。そのコストは結果的に社会の負担、一人ひとりの国民の負担に転嫁されるわけだ。その損得をも折り込んで計算したのだろうか。

 全面禁煙政策によって、利益と不利益、全社会の相殺合計額はどうなのか。これは国民一人ひとりが理性的に、政治家と一緒に考えるべきではないだろうか。そうすると、政治家も資質向上に努めなければならなくなる。

 民度の向上、国政の理性化、国家全体の民主主義の成熟。われわれ国民一人ひとり、単なる個人の利益を超え、もう少し視野を広げ、複眼的に考える義務があるのではないだろうか。

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コメント: 禁煙政策の戦い、民度向上と国政理性化

  1. 「少数派の意見も、十分に討議する」が民主主義の基本ですから、当然「喫煙派」の主張も十分に議論されるべきです。

    でも、そうならないのは、昔と違ってタバコというものが、相対的に投資効率が悪くなり、資本家が期待しているほどの十分な利益をもたらさなくなったからであるように思えます。体がうんぬんよりも、社会の多様化により、資本家の投資先として非効率であることから資本家から十分なサポートを得られなくなったのではないでしょうか。

    中世から、砂糖は資本主義の発展と切っても切れない関係でしたが、近年砂糖もタバコと同様に社会の敵として扱われ始めています。これも砂糖への投資効率が相対的に悪くなっているからではないかと想像します。

    民主主義と資本主義は双子のような関係ですが、どうしても資本主義の本質のほうが民主主義の本質よりも強く社会に現れてしまい、民主主義が十分に機能しない原因となるように思われます。

    そうならないためにも少数派の戦士である立花先生にこれからも力強い論陣を張っていただければと思います。

    1.  論旨が若干違います。誤解なきようお願いしたい。私は少数派の戦士でもなければ、戦うつもりもありません。法や政策の社会的経済効果にフォーカスしているだけです。因みに私は飲食店で喫煙しませんので、禁煙のほうが個人利益に合致します。

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