宗教もたずに信仰をもつ、自身の神を見つけよう

 私は信仰をもつが、宗教をもたない。私には神が存在するが、それは宗教が規定する神ではなく、私自身の神だ。

 宗教の中心となる聖典を精読するや、納得する箇所と納得しない箇所が出てくる。納得しないものを唱え続けても納得するようにはならない。納得しないのだから、信じるというのが宗教の原点だが、決して信仰の原点ではない。

 思うには、真の信仰、最上級の信仰、その出自は既製された宗教ではなく、一人ひとりの人間の中に根ざした不変で神聖な魂たる「神」なのだ。故に、私は自分自身のなかに神との出逢いを探し求め、既製の聖典を唱える余裕などはない。

 哲学者ニーチェには、多くの「信者」がいる。しかし、彼は決して宗教の開祖になろうとしなかった。いや、それが真正面から彼の哲学に反するからだ。ニーチェがいう――。

 「私を失いなさい。そして君たち自身を見つけなさい。君たちみんなが私を否定したとき、私はまた君たちのところへ戻ってくるだろう」

 自分を否定する勇気は、既製(既存?)の神にはもっていない。いや、正確に言うと産業化した宗教は、否定を最初から否定していたのであった。ルターの宗教改革は、否定を持って新たな否定の否定を生み出してはいなかったのか。

 懐疑に起源する否定がすべての原点だ。神を否定したところで、真の神に出逢う。真の神は教会や寺院に存しない。それは一人ひとりの人間のなかに生きているのだ。