政の正と性の正、政治家に何を求めるべきか?

 日本は沸騰中。山尾志桜里氏不倫報道一色。

 私は山尾氏が嫌い。理由は単純に彼女は政策できないし他人の足引っ張りに熱中することだった。彼女は降りるべきだと思う。ただ最終的な降ろされ方は下半身問題だった。

 ならば、国家に多大な貢献をする有能な政治家も不倫で降ろされる可能性が濃厚になる。有能な政治家で不倫をしない保障はあるのだろうか。有能になればなるほど狙われやすいことも自明の理だ。

 仮説。不倫はするが政策で結果を出せる政治家A、不倫しないが政策もできない政治家B。どっちが良?どっちを選ぶべきか?
政治家には、「政」の正も「性」の正も同時に求めるべきだろうか。

 「政」の正を求めるのが国民であるのに対して、「性」の正を求めるのは当事者とその配偶者である。

 政治家も生身の人間であることを忘れてはいけない。不倫問題は左右を超え、超党派的な問題であることも忘れてはいけない。そして、政よりも、性のほうがはるかに分かりやすいこともさらに、忘れてはいけない。

 政に無関心な民が多くても、性となれば、瞬時に1億総評論家化する日本である。

 産経紙の評論は一層激しさを増している。加計問題やパナマ文書問題、五輪招致疑惑問題を持ち出し、一貫して「調査」に熱心な民進党はなぜ今回は黙っているのかと問い詰める。私は保守の部類で産経の愛読者でもある。ただ正直、この論法にはいささか疑問をもつ。

 加計問題、パナマ文書問題、五輪招致疑惑問題はいずれも金銭問題であるのに対して、不倫問題は倫理問題である(ホテル代は公金流用なら金銭問題になるが)。本質的な相違がある。

 保守陣営は、「政治家の倫理問題に首を突っ込むべきか」という原理原則をまず示すことが必要だろう。敵失を叩く前に明日の我が身というリスク管理も考えておくべきだろう。保守陣営の全員が去勢された宦官じゃあるまいし、男女の情事は世の常であることを忘れるな。

 保守陣営も結局、同調圧力があって、山尾氏叩きに一斉躍起している。私はこれに反論を提起したところ、奇異な目線を浴びることもあろうが、縷々論理を説いてきた。

 産経紙まで加勢し、大々的に政治家不倫叩きキャンペーンに躍起している。それは当座、熱狂的な保守ファンに祭り効果をもたせることになろうが、その論理によって、将来的に保守陣営にもブーメラン効果の潜在的リスクを孕ませることになった。

 山尾氏は政治家の資質を備えていない。いずれ脱落するだろうから、不倫問題で落とすのが賢明とは思えない。逆に民進党を利する場面すらある。民進党は、例の山尾氏不倫事件で、党重役の抜擢を断念し、離党してもらったということで、「潔き処理」の前例を作ったのだった。この規範を将来的に自民や保守陣営にも当てはめる。

 故に、「山尾氏は政治家の資質を備えていないだけで、不倫疑惑という偶発的な出来事を借りて、彼女を民進から排除するやり方は、卑怯そのものだ」というアプローチを取るべきではないだろうか。

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