五十にて河豚の味を知る夜かな、美食万歳大阪万歳

 理想的な死に方と聞かれたら、「食い倒れて死ぬ」と私が答える。「生きるために食べるのではなく、食べるために生きる」という私の人生観はやはり歪んでいるのじゃないかと、自分でもそう思う。大阪に来たら、死ぬまで食ってやるという「悲壮感」が付きまとう。お目当てはといえば、河豚以外は考えられない。

 目指すは福島駅の近くにあるふぐ料理店「あじ平」。予約しておいて良かった。19時30分過ぎの入店で満席状態。

 「河豚のうまさというものは実に断然たるものだ、と私は言い切る。これを他に比せんとしても、これに優る何物をも発見し得ないからだ。河豚のうまさというものは、明石鯛がうまいの、ビフテキがうまいのという問題とはてんで問題が違う。調子の高い海鼠やこのわたをもってきても駄目だ。すっぽんはどうだといってみても問題が違う。フランスの鴨の肝だろうが、蝸牛だろうが、比較にならない。もとより、天ぷら、鰻、寿司など問題ではない」

 と、魯山人がこう語る。河豚を食さずに大阪を後にすることはできまい。

 「五十にて 河豚の味を 知る夜かな 河豚食わぬ 奴には見せな 富士の山」小林一茶の句だ。50歳になって始めて河豚の旨さを知ると。河豚の旨さは何であろう。思うには、淡泊さのなかに隠されている「うまさ」、これを味わって感動を覚えるという、まさに芸術的な境地に到達できるかどうかの話だ。

 昔は命がけで河豚を食すというが、なるほど「食い倒れ」とは、量で倒れるか、質で倒れるか、あるいは毒で倒れるか。それは食の街、大阪ならではの醍醐味ではないだろうか。

 と、ついに私は倒れることなく、また明日も旨いものを食べ続けたい。美食万歳、大阪万歳。