ワークシェアリング国家の末路、日本一時帰国雑感

 久々の日本帰国。印象はといえば、まず、物価は不当に抑えつけられ過ぎていることだ。「Price under Value」も多々ある。

 これはもはや単なるデフレとかではない。デフレとは、超過供給と共に、物価水準が低下し、雇用や生産の縮小が生じ、景気後退が起ることだ。しかし、いまの日本は、雇用だけは過剰しており、畸形児と化している。

 私がコンサル業務で接している多くの企業においても、労働生産性を腫れ物のように触れようとしない。特に1人あたりの労働生産性について、雇用の是非という議論そのものがタブー化されている。

 3人でできる仕事を5人でやっているのだから、みんな給料が安くならざるを得ない。するとみんな消費したがらない。倹約に徹する。消費低迷がさらに物価水準を引き下げ、値下げ競争を激化させる。全体的なパイが小さくなればなるほど、その5人の賃金原資がさらに委縮する。どんどん悪循環に陥る。

 その5人中一番生産性の低い1人や2人を解雇すれば、問題がだいぶ緩和、ないし解消できる。たが、日本社会ではその議論すらできない。解雇のできない企業は当然将来に不安がいっぱいだ。その長期的不安に備えて、内部留保を積み上げてリスクヘッジする。それは一般の家庭にも通じる。

 将来に不安のある家庭は消費せず、懸命に貯蓄に走る。たとえ金利ゼロでも貯蓄する。もし、企業内部留保に課税するのならば、個人・一般家庭にも預金税・現金保有税を課するべきだろう。一方的に企業の内部留保を批判しても問題は解決しない。

 正社員の解雇自由化。これは避けて通れない道だ。法律的には、労働基準法ではほぼ解雇自由の原則になっているものの、判例法を中心に「解雇権濫用法理」が構築されている。それはおかしなこと。企業って、解雇権を濫用して良い社員を解雇して得するか?

 いまの日本は国全体、ワークシェアリング国家になっている。一時帰国して「爆買い」「爆食い」するには都合が良いが、心底からはまったく喜べない。

<続篇>

「ワークシェアリング国家の末路、日本一時帰国雑感」への2件のフィードバック

  1. 日本はワークシェアリング国家でしょうか。

    正社員をどんどん安い派遣社員・期間従業員に入れ替えて、派遣社員・期間従業員に正社員と同じ責任と仕事量を与えて仕事をさせてきました。

    現在、人手不足になったことで、正社員化による人手不足の解消を狙った企業が出てきていますが、基本的には派遣社員を人員の調整弁として効率的に使っています。

    大手自動車メーカー、期間従業員の無期雇用を回避
    http://www.huffingtonpost.jp/2017/11/03/story2_a_23266481/

    ずっと、この方向で進んでいますが、特に庶民の暮らしが良くなったという話は聞きません。

    立花先生が主張なさっているワークシェアリングの否定は、何をもたらすことを目的となさっているのでしょうか?

    1.  ちょうど明日付け掲載予定で、少しばかり関連する内容の記事がありますので、明日ご一読いただければ幸いです。本文のワークシェアリングは基本的に正社員体制を指しています。

       全部とは言いませんが、日本の正社員集団の労働生産性は普遍的に低い。いや、一部の企業はもはや恐ろしいほど低い。そもそも、正規雇用と非正規雇用の区分は今後意味を喪失していくでしょう。喪失せざるを得ない。

       正規と非正規の何が違うかというと、クビ切れるかどうかの違いと既得利益の保障くらいだろう。私から見れば、非正規が主流であるべきだと思っています。必ずそうなっていくし、ならざるを得ない。

       なので、最終的に雇用形態の枠組みをはずして、市場メカニズムのもとで一元的に捉えたほうがシンプルで本質が見えやすい。

       しょせん、雇用形態は人為的規定であるから、労働者個々の素質やキャパ、成果提示状況を市場が評価し採点していくほうがよほどナチュラルでしょう。

       最後になりますが、「庶民の暮らしが良くなっていない」ということですが、当たり前です。今後はさらに悪化していくと思います。「庶民」という集団均一性を付与するならば、よくなるはずがありません。集団として救済する道は皆無で、個体として「庶民脱出」という自己救済のみです。

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