狭い日本ならぬ短い人生、そんなに急いでどこに行く?

 年の瀬。赤道直下の南国にいると、季節感がなく年の瀬も一向に実感がわかない。そのお蔭で慌しさまもない。

 桜が咲く季節になると、気分一新して抱負を語ったり、キリスト教国でもないのにクリスマスソングが街中に響く時期になれば慌しさを増す。

 日本人のいう季節は、一種のタイムリミットをも意味する。それまでにやるべきことを片付けなきゃという使命感が付きまとう。

 私が住むマレーシアは、四季はなく常夏の国だ。乾季や雨季も最近明確でなくなった。さらに、イスラム教、チャイニーズ旧正月、ヒンドゥー教、プラス西暦元旦という4回もの新年を迎え、もちろん時期もバラバラなので、一層の季節感喪失、いや季節感の混乱を引き起こしている。

 生まれてから死ぬまで、一定の単位時間を区切る境界がない故に、いつまでにあれこれやらねばならないという切迫感もわきにくい。そうすると、何事も悠長にやっていればいい。

 マレーシアに移住した当初、この種の悠長な時間感覚に物凄く違和感をもったが、最近はすっかり親しみを感じるようになった。やり残したことがあれば、先送りする。時間が経つにつれ、やる必要がなくなったりすることもあるので、総量的な効率性、合理性が抜群だ。

 私も少こしずつマレーシア化して、「To Do」リストがどんどん短くなってきている。相談アポやコンサル案件の中間報告・納品期限とセミナー講演準備のタイムリミットだけは事務室のホワイトボードに書き込むが、ほかの事項はかなりいい加減になってきた。しかも自己嫌悪のかけらもない。

 狭い日本ならぬ短い人生、そんなに急いでどこに行く?と、皆さんに勧誘を仕掛けるつもりのないことだけは、言明しておこう。

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