ルアンパバーン(8)~托鉢の衝撃的な現場

<前回>

 ルアンパバーンといえば、托鉢。早朝から各寺院の僧侶たちが街を歩いて托鉢を行い、路上で待ち構える信者たちがご飯等の食料品を喜捨するという風景である。

 早朝5時45分くらいに最寄の「托鉢場」に出向いてみると、もう観光客がちらほらとやってきていた。立ち止まる暇もなく、「業者」がすぐさまにご飯とお菓子の「托鉢セット」を売り付けてくる。私は信者ではないので購入を断る。

 セットを購入した観光客には、ござや椅子の喜捨専用席まで用意されていた。記念写真の撮影にも業者がにこやかに応じてくれる。まあ、完全に観光産業化された様相だ。

 6時過ぎたところ、まだ薄暗い中僧侶たちが列を成してやってきた。観光客が一斉に喜捨の嵐を始める。ついにもらいすぎた僧侶たちは喜捨物を捨て始めた。

 業者が用意した「捨場」には、お菓子やご飯がどんどん捨てられていく。お菓子は使い回しができても、ご飯は衛生上でも再利用できないだろう。酷く心が痛む。

 ご飯を捨てること、私はどうしても受け入れられない。仏教の教義などに関して私は信者ではないので発言を控えるが、個人的価値観からすれば、容認できる範囲ではない。

 知る限りでは、喜捨とは、僧侶や出家者たちが、生活に必要な最低限の食糧などを乞うものではないかと思う。しかし、いざそれが観光化された時点では、信仰や宗教それ自体が持つ意味合いはもはや極度に薄れ、それどころか食糧の浪費にもなれば本末転倒ではないか。

 ルアンパバーンも例に漏れず、世界文化遺産に指定されてからだいぶ「俗化」が進んでいる。私を含めた観光客がこの街に金を落とし、地元には経済的利益を与え、寄与していることは間違いない。ただその副産物は中長期的に地元にどのような影響を与えるか、知る術がない。

 ユネスコの功罪、観光客の功罪。いずれも歴史が結論するだろう。そんな複雑な心境でラオスを後にした。

<終わり>
<次回・タイ>