「道徳自警団」と「市井裁判所」、日本社会の暗黒面

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 私が大好きな日本に住みたくない理由を申し上げましょう。

 「法律」と「道徳」の混同。それに由来する日本社会の「道徳自警団」と「市井裁判所」の存在。

 昨今、多くの著名人のスキャンダル事件にも見られる現象だ。法律違反でもしていないのに、いわゆる日本社会の道徳的価値観に照らし合わせて「非道徳的」と判断される人間を懲らしめると。

 あるいは、事件があって警察がまだ調査しているのに、多くの市民はもう我先に巷間の噂や煽動的なメディア記事を根拠に批判や罵倒の論陣を張り始める。

 後不起訴だったり釈放された当事者が中指を立てたくなる心情はよく理解できる。

 日本社会の「市井裁判所」の審理と判決のスピードはもう、間違いなく世界一早い。警察も検察も裁判所も真っ青だろう。これ、法治社会と言えるのだろうか。

 韓国では諸々あって、司法が民意を忖度して「情緒法」で次々と断罪が決まったりすると、日本人はさんざん韓国社会の市民裁判を嘲笑したが、さて我が身を振り返れば、いかがなものであろう。

 法、特に司法手続を無視して、道徳基準で物事を単純に善悪化する社会は、中世と比べてどう違うのだろうか。異端者や邪教徒を否応なしに火炙り刑に処するまでいかなくとも、社会的存在すら難しくなるほどの屈辱はある意味で死より残酷な処刑ではないか。

 政治家は政策で評価し、学者は学問で評価し、作家は著作で評価し、芸能人は歌唱力や演技で評価し、ただそれだけ。彼や彼女たちが法を犯したら、警察や裁判所に任せたらどうだろう。彼や彼女たちが不倫でもしたら、彼や彼女たちの配偶者に裁量の自由を与えたらどうだろう。

 日本人の皆さん、どうですか。

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コメント: 「道徳自警団」と「市井裁判所」、日本社会の暗黒面

  1. 昭和の人間としてはごもっともなご意見だと思います。私も多くの点で同じように感じています。

    しかし、「政治家は政策で評価し、学者は学問で評価し、作家は著作で評価し、芸能人は歌唱力や演技で評価し、」を実行させるならば、政治家はクリーンさを売り物に当選すべきではないし、タレント議員を利用した集票などもってのほか。学者も政治家も作家も歌手も俳優もバラエティ番組などに出るべきではない。CM出演も禁止でなければならない。ホリエモンが言っていたような「ベストセラーを作りたかったら、全国の書店を回ってスタッフと仲良くなりなさい」みたいなのも当然駄目でしょう。

    でも、もうそんな時代ではないんですね。我々は昭和には戻れない。「ごった煮」の、何でもありの世界になってしまったんです。世界が混ぜこぜになってしまっているのに、批評する側にだけ規律を求めるなんて、それこそ不条理。

    中国のケンタッキーがカレーライスやお粥を売るのを見たとき、「なんだ中国のケンタッキーは節操がないな。チキン屋ならチキンで勝負しろよ」と思ったものですが、そのうち(中国)マックでもチキンを売り始めました。まあ、中国だからなと思っていたら、今や日本の回転寿司ではケーキやら牛丼やらラーメンやらを出しています。節操や区分けなどというものは、ナショナリズムがグローバル化に呑まれたのと同様になくなってしまいました。

    伝統の破壊者としてご成功なさった立花先生が伝統的な考えに縛り付けられているのはいかがなものかと。主流になったものが正義。こういう世の中なのでしょう。立花先生が常々おっしゃっているように、適者生存ということですね。

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