爆竹の歴史的雑想、王安石と魯迅そして犬と私

 我が家の犬も、私も、大の爆竹嫌い。爆竹が鳴り響くと、犬は怒って吠え出し、私は怒って黙り込む。

 なので、旧正月はとにかく中華圏から逃げ出すのが毎年の恒例行事であった。今年だけは都合がつかず、クアラルンプールに残った。案の定、爆竹や花火はひどかった。

 10年前だったか、竣工直前の北京・中央テレビ局の本社ビルが旧正月の爆竹か花火でほぼ全焼した。厄払いのはずだった爆竹がなぜか厄招きとなったのだった。

 やっぱり迷信だったのか。いや、迷信も文化のうちといったらそこまでだが、宋の王安石が「爆竹声中一歳除 東風送暖入屠蘇 千門万戸曈曈日 総把新桃換旧符」という詩句を残し、風情のある古き良き時代を美しく描写した。

 しばらく時が流れ、近代に入ると状況が少々変わった。魯迅がその著書「偽自由書·電的利弊」のなかに「外国人は火薬で銃弾を作るが、中国人は火薬で爆竹を作る」と随分皮肉な表現を用いた。

 いよいよ今日になってみれば、爆竹は火事や大気汚染や騒音の元になり、中国の大都会では法令で禁止され、密告や処罰の対象とまでされたのであった。

 古き良き時代の風情は消えたし、また中国人はいまや火薬で銃弾を作るどころか、核まで持ってしまった以上、魯迅もさすがに生きていたら真っ青だろう。

 といろいろ思いを馳せながら、今日もまた爆竹はクアラルンプールの夜空に鳴り響いている。

タグ: