「クラビに移住して8ヶ月になったのよ。本当に素晴らしいとこだわ」
ビーチを散歩していると、犬と一緒に日光浴中のおばさんに出逢い、雑談が始まった。フィンランド人、寒い北欧よりも暖かい南国・タイに魅かれての移住。
海外移住、日本人なら壮絶な人生決断で一大事。なんだか、おばさんにとって、「ちょっとそこら辺住んでみようかな」という軽い感覚。
「こっちでどのくらい滞在するの」。おばさんに聞かれる。
「1週間も滞在しますよ」。私は「One Week」に力を入れて答える。
「えっ、1週間だけ?ずいぶん短い休暇ね。もったいないわ」。おばさんの残念そうな表情で、私はショックを受ける。
昨日、ホテルの部屋に届けられた英字紙「バンコク・ポスト」をめくると、同志社大学・政策学部阿部茂行教授のインタビュー記事が掲載されていた――「日本、自身の成功に負けた被害者」。
「日本の一人当たりGDPは、イタリアとほぼ同じだが、生活品質はまったく違う。ウサギ小屋に住んで、せっせと働いて一生を過ごす。せっかく稼いだドルは、プラザ合意、円高で大部分アメリカに吸い取られた。日本人は、本当に豊かになった実感は一度もない。それでも、アメリカ妄信から抜けられない・・・」(このような趣旨)。
阿部教授は、戦後日本の「英米キャッチアップ」政策が基本的に間違っていると厳しく批判し、日本人独自の幸福感を持てるライフスタイルへの復帰を呼びかけた。
日本の企業は、仕事を休んで遊ぶことを「悪」とさえ考えているところがある。とんでもない。一人ひとりの人間は、何十年もの命しかない。しかも、いちばん遊べるのが、定年までの間ではないか。どんどん遊ぶべきだ。
私は、このような人生観で、サラリーマン時代も、失業期間中も、独立後のいまも、堂々と遊んでいる(それでも、フィンランド人おばさんに、「休暇が短いね」といわれてしまった)。
私たちが住むこの星は、海と陸地で構成されている。「海外」やら「国内」やら人間が作り出した国境にとらわれ、いかに自分自身を不自由にしていることだろう。思い立てば、地球儀をぐるっと回してこの指止まれと止まったところに旅立てばよい。
死ぬ前に、「あっ、遊び疲れたなあ。少し休んで、生まれ変わったらまた遊ぼう」と、眠りにつきたい。