「論点すり替え」の建設的展開とは・・・

 「論点のすり替え」。俗称「詭弁」というが、どうもネガティブなニュアンスが充満している。果たしてそうなのか。

 「論点のすり替え」はいろんな形態がある。一つの例を挙げると、「僅かのスピード違反で、なぜ私だけが処罰されるのか。ほかの車がもっと猛スピードで走り抜けているじゃないか。俺じゃなくあちらを捕まえに行けよ。街に凶悪犯罪だってあちこちあるのに、なぜ捕まえに行かないのか」

 これが本人のスピード違反を認めつつ(避けて言及しないだけ)も、まったく別の問題を提起し、論点をすり替えているのである。日常的にこの種の「お前だってやっているんじゃないか」あるいは「他人だってやっているんじゃないか」という「お前だって」論法がよく見られる。

 スピード違反者の「論点すり替え」で提起されたのは、紛れもなく存在する別の問題である。

 ① スピード違反者の抜き打ち摘発の不公平性問題。
 ② 警察官の仕事の優先順位付けの合理性問題。
 ③ 警察官の利権の問題に起因する「選択的な法律執行」の問題(スピード違反の罰金が警察の利権となった場合)

 提起されたこの別の問題は、確かに問題であって解決に取り組むべきものであろう。ただし、違反者の違反行為と相殺することはできないし、これで特定の違反行為を正当化することもできない。この辺しっかり把握しておかないと、知らないうちにすり替えられた論点に議論の土俵が移ってしまうので、要注意だ。

 「論点のすり替え」のポジティブな使い方について少し掘り下げてみよう。論点のすり替えでありながら、見方や捉え方によって他の問題発見・問題解決のきっかけとなる・・・。(以下略、顧客向けレポート、研修用)

コメント: 「論点すり替え」の建設的展開とは・・・

  1. 論点のすり替えには、向き不向きあると書きましたが、そうした性格的要素を努力によって克服することも可能だと思います。

    そこで、論点のすり替えの元来の問題が出てきます。

    論点のすり替えは、人格的融和を伴いやすい行動だということです。

    生真面目で融通が利かなかった人間が、営業を始めるにつれて口がうまくなるということは良くあることです。論点のすり替えがうまくなる、口がうまくなるといったことは、仕事上に留まらず、私生活上での交際にも影響を与えます。

    仕事上だけ論点のすり替えがうまくて、私生活では全く論点のすり替えを行わないということには、まずならない。

    つまり、論点のすり替えをマスターすることは、良きにしろ、悪きにしろ、人格の変容を伴う変化を受け入れるということになります。同時に、状況によって、論点のすり替えを行ったり、行わなかったりという切り替えをできる人は稀にしかいないことを意味すると思います。

    1. 営業活動だけではないんですね。プライベートにおいても、自分を売り込むという活動は日常的に行われているのですね、まったくおっしゃるとおりです。

  2. 子供のとき、無意識に論点をすり替えるということはよくありました。すると、決まって言われるのが、

    「話をそらすんじゃない!」

    これですね。上下関係があると、この一発で論点のすり替えが阻止されました。これをやられても、なおかつ、うまいことすり替えができる人間が頭のいい人間、要領のいい人間だということになるのでしょう。

    向き不向きもあるから、向いていない人がやろうと思ってもなかなかできません。面白いことに、論点のすり替えがうまい人は、論点のすり替えを阻止するのもうまかったりしますよね。逆に論点のすり替えが下手な人は、すり替えられても気づかなかったり、気付いても怒るしかできなかったりします。

    1. 飯田さん、論点すり替えに「上下関係」という新たな要素を加味してくださったこと、大変建設的です。ありがとうございます。確かに「すり替え」行為が下位者ですと、上位者の一喝ですり替え行為が阻止されますね。逆のパターン、上位者のすり替えだと下位者が明言による阻止が難しいので、そのまますり替えが成功することが多いのかもしれません。特に企業など組織のなかで、上司の論点すり替えに由来する暴走による失敗は大変痛々しいものです。上司は論点すり替えのないよう意識しないといけませんし、また部下としては上司の論点すり替えを建設的に発展させながらも、元の課題を見失うことなき取り組めると最高です。このような理想的なシナリオはめったに見ないのが現状ですね。

  3. 論点のすり替えのプラス面についてのご説明、楽しみにしています。

    他の国(中国?)はともかくとして、日本では伝統的に論点のすり替えを許さないという強い観念があります。論点のすり替えをする人間は、「口のうまい奴」、「営業だからな、あいつ」みたいな認識をされ、誠実さが足りない、信用ならない人間としての烙印が押されてきました。

    一方、営業的な発想として、論点のすり替え、話題の転換はよく使われる手法です。現代のように、売る・アピールすることが何よりも重要な世の中において、論点のすり替えがプラスとして評価される局面が増えてきました。

    この傾向は今後も続くと思われますし、誠実であることの価値が低下していく以上、相対的に論点のすり替えを行う人間へのマイナス評価の少なくなっていくと思われます。

    古いタイプの人間にとっては、生きにくい世の中です。

    1. 飯田さん、物事には二面性があります。論点のすり替えという手法自体が決してポジティブなニュアンスではありませんが、ただすり替えられたところで、予期せぬ別の問題解決につながればその点だけでも評価されるはずですね。もちろん、すり替えられっぱなしではダメで、ボールの受け止め方も大切なんですね。ちゃんと元の論点に引き戻す意識との力をもたないといけません。論点のすり替えから生まれた新たな課題抽出や問題解決がポジティブであっても、肝心の元の問題にもきちんと立ち返ってそれを解決するということです。論点のすり替えというのは、人間が弱い立場や不利な立場に置かれた時に起きる一種の本能的な行動で、無意識に発生することも多く、すべて不誠実と短絡に結論付けするのがは少々乱暴な側面もあります。効率性からいえば、パラドックス的(逆説的)なポジティブシンキングやアプローチが望ましい。旨く表現できませんが、――「逃げ道を作ることによって出来た道も道であって使えばよい。ただ、それで逃げすわけにはいかない」という感じかな。。。

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