奇妙な「白衣高血圧」

 私は、高血圧です。中国の薬がやはり怖いので、日本出張のついでに、毎回東京や大阪の病院からもらうようにしているのです。

 ちなみに、私が飲んでいるのは、ノルバスク(朝食後)とオルメテック(夕食後)の二種類です。二年前買った家庭用の血圧計で計測しているのですが、面白い発見があります。

 家で計ると平均<130、85>、大阪の病院では平均<140、90>、東京の病院で計るといつも<150、110>くらい行っちゃいます。

 「白衣高血圧」というのを聞いたことがありますが、白衣を着た医師や看護婦さんに測ってもらった時に血圧が高くなる・・・もしや、それ?でも、なんで、大阪の病院と東京の病院が違うの?

 東京では、取引先とのミーティングや会食は港区内が多いので、いつも、見栄っ張りの六本木ヒルズクリニックに通っています。ここは、映画に出てくるような美人女医さんが大勢います。それで、血圧が上がっているのかなと・・・

 とはいっても、高血圧は、運動すれば、ずいぶん下がりますが、なかなか、スポーツクラブに行くとなると、腰が重い。

 今週は、健康機器メーカーのクライアントと打ち合わせと会食が予定されていますが、血圧のこと、また、言われそう・・・

コンサルタントの「飛翔体」問題意識、報じられない不思議とホラー映画効果

 読者の皆さんに、いくつか、質問を提起したい。是非、一緒に考えたい。

 質問その1、読者の皆さん、特に日本人の皆さん、 「飛翔」(ひしょう)という日本語は、これまで、何回使ったことがありますか?

 質問その2、通常、お馴染みの「航空機」、「飛行機」以外に、「飛行物体」という名称はあります。これもUFO(Unidentified Flying Object、未確認飛行物体)の「出没疑惑」以来、知られるようになりましたが、「飛翔体」ということばは、北朝鮮ミサイル発射の一件までに、聞いたことはありますか?

 質問その3、北朝鮮のミサイルの破片が、日本国内○○県内に落下する事故、と、航空機が成田空港付近で墜落する事故、その事故の発生率、どちらが高いのでしょうか?そして落下、墜落した場合、どちらの被害が大きいのでしょうか?

 質問その4、北朝鮮の戦闘機が日本領空に進入した場合、と、北朝鮮のミサイルが日本上空を通過した場合、どちらが領空侵犯になるのでしょうか?

 質問その5、「飛行」は、英語で「Flying」と言いますが、「飛翔」の英語訳は、何でしょうか?

 質問その6、最近新聞の紙面に躍る文字「飛翔体」、パソコンで「ひしょうたい」を入力しても、出てくるのが、「非招待」(ひしょうたい)でした。(確かに、ミサイルは、「非招待」ですが) なぜでしょうか?

 質問その7、北朝鮮に何らかの問題があると、まっすぐに、必ず拉致被害者家族会のインタビューが新聞の紙面を飾るのはなぜでしょうか?

 質問その8、拉致被害者家族会の運営・活動経費は、拉致家族と民間支援団体だけでまかなっているのでしょうか?

 質問その9、拉致被害者家族会が、日本政府に北朝鮮への追加制裁を求めているのですが、追加制裁すれば、拉致問題やミサイル問題は、解決するのでしょうか?

 質問その10、質問ではありません。声明です。私は、北朝鮮の肩を持つつもりはありませんし、それらしき政治思想も有していません。北朝鮮問題に対し、憤慨を覚えます。ただ、コンサルタントとしての立場から冷静に複眼的に、問題を捉えたいのです。正義論も、感情論も、政治意識もすべてなし、単なる問題意識で見つめてみたい。

 本文は、政治・外交の論説ではありません。コンサルタント視点から書いた企業経営モノです。末尾の結論だけでも、企業の方にご一読いただきたい。

 「飛翔体」という言葉は、学術性が強く、決して一般の社会生活でよく使う言葉ではありません。私は、日本航空編集の『航空用語辞典』等専門資料を調べると、ミサイルの学名が「誘導飛翔体」だということを知りました。

 「飛翔」というよりも、「誘導」という行為が、ポイントではないでしょうか。発射されたものは、一体「人工衛星」なのか「ミサイル」なのかが不明で、とりあえず「飛んでいる」ので、「飛翔体」という名称をつけると。一方、あまり聞きなれない「飛翔体」という言葉で、日本国民が、異常な恐怖感を抱くようになるわけです。一石二鳥といえるのです。推測ですが、日本政府は、今回の用語をずいぶん吟味したのではないでしょうか。

 さらに、付け加えると、「飛翔」の「翔」は人名用漢字で、常用漢字ではないのです。漢字の混乱を避けるべく、常用漢字表の製作に乗り出したのは、国民でなく、日本国政府自身です。「公文書作成の要領」(1952年)によって、日本国政府は、公文書を常用漢字表に基づいて作成すると、自分で決めたのです。だったら、「飛行体」、「飛行物体」などの常用漢字表内字を使えば良いのではないでしょうか。なぜ、国民に難解な「飛翔体」という怪奇用語を使うのか?

 ここまでいうと、大体私の推論に納得していただけるのではないかと思います。

 企業の経営管理、特に、中国のような海外での企業マネジメントは、「飛翔体」モデルが非常に役に立ちます。たとえば、日本人の上司と中国人の部下、日本企業の文化と中国現地の文化が衝突します。言ってみれば、「航空機」と「飛行体」の対立は、双方の主張が平行線のまま、いつまでも結論に至らず、論争が終わりません。そこで、じゃ、あえて双方にとってあまり馴染みのない「飛翔体」にしたらどうかという、「第三の道」を選択する。これは、ナイス・チョイスではないでしょうか。

 「飛翔体」、怪しい、神秘、恐怖・・・これは、日本政府が国民にアピールしたい諸要素です。

 私は、若い頃、好きな女の子をいつもホラー映画に連れていきます。「キャッー、怖い」、恐怖シーンのたびに、必ず手を握ってくるし、体もよっかかってきます。私も、ドサクサにまぎれて、手を彼女の肩に回し、しっかりと抱きしめ、「大丈夫だよ、俺がここにいるんだから」と密着度を高めるわけです。ホラー映画の後のデートは、いつもムードが特段よろしいのは、なぜでしょうね。

 次期衆院選を控えて、小沢・民主党代表秘書の不祥事があって、また、今度北朝鮮ミサイル事件のホラー映画も見事に作られました。そこで、「私がいれば大丈夫だよ」と国民にささやき、存在感をアピールし、密かに不戦勝を狙っているのは、どこの誰なのでしょうか。

 企業経営も同じです。

子供のパパは誰?清明節のジョーク書き込み特選

 中国の伝統的な節句・清明節で、墓参りの日です。インターネットの中国語ブログを見ると、解放戦争中の戦死者、犠牲者を追悼するというよりも、少し、いたずらユーモアを混ぜた書き込みもちらほらと見かけます。一つ翻訳をつけて紹介します。これを読んで、笑い出したら、相当な上級者中国通ですね。

 <ダウンロード場所>  『百度貼吧』 http://tieba.baidu.com/f?kz=556571739

 <ダウンロード日時> 2009年4月6日午後

 <内容日本語版>

 清明節が来ました。お墓の中にいる戦死者たちの仏様が次から次へと、問い合わせの電話をしてきます。(聞き役は、いずれも戦死者たちです)。

 江姐が聞く、「国民党は、倒されましたか?」

 回答、「陳水扁に倒されましたよ」

 董存瑞が聞く、「労働人民は、まだ牛馬となって労働を強要されていますか?」

 回答、「労働しません。みんな失業しました」

 呉琼花が聞く、「婦人姉妹たち、みんな解放されましたか?」

 回答、「解放されました。みんな「小姐」になりました」

 楊子栄が聞く 「山賊は、みんな撲滅されましたか?」

 回答、「公安や城管(都市管理総合行政法律執行機関)に変身しました」

 ・・・(中略)

 清明節がすぐ来ます。子供たちに、昔、昔の話をするようにしましょう。あのときは、空が青かった、水も綺麗だった、農産物は田んぼに植えていた、豚肉は安心して食べられた、ネズミは猫を恐れていた、裁判所は道理を語っていた、結婚に先立っては恋愛をしていた、理髪店は髪の毛を切るだけだった、薬は病気を治せた、医者は患者を助けていた、女優は監督と寝なくても映画を作れていた、写真は服を着たまま撮っていた、借金は返していた、子供のパパが誰なのかははっきりしていた、学校は金儲けをしなかった、アホが教授になることができなかった、犬肉を売るやつは羊の頭を吊るすことが許されなかった、結婚してからほかの女と遊ぶことができなかった、物を買ったら代金をちゃんと払っていた・・・

 以上

<上海>炭火焼き鳥・炭姫、スモーキーと香り絶品焼き鳥

 私が週1回ほど使っている食堂代わりの店です。焼き鳥は、本当に美味しい。日本よりも美味しいくらい美味しいといったら、褒めすぎなのかもしれませんが、中国にしては、こんな美味しい焼き鳥は少ない。

20935ハツとレバー、見た目よりもずっと美味しい

 リーン、リーン・・・

 「もしもし、立花様でいらっしゃいますか、焼き鳥の炭姫です。おめでとうございます。今月の番付、大関が当たりました。300元の食事券を差し上げますが・・・」

 私は、2回大関に当たったのです。

 私は、非常に、くじ運の悪い男ですが、なぜか、この「炭姫」では、二回も抽選で当たっているのです。カラクリをマスターが説明してくれました。

 常連客は、みんな名前を登録して、メンバーズカードを持っているのです。毎回の売り上げを合算して、毎月の集計で、合計金額の多寡で相撲番付順位が決まるわけです。ですから、抽選でも何でもない。売上げ金額に応じた特典券のようなものです。それはそれでよいのです。胡散臭い抽選よりも、はっきり売り上げだよと明白にした方が気持ちすっきり。

20935_2牛タン
20935b_2ねぎまとしょう肉

 要は、もっとたくさんお金を使ったら、横綱も当たります?!

 この店は、とても面白いシステムを導入しています。日本酒や焼酎ボトルをキープすると、勘定するときに飲み残した分量を電子秤で測ります。残量データは、メンバーズカードに印字されます。そして、次回は、その分量だけ出されます。つまり、一般の店のように、ボトルの首に「立花」の札がぶら下がっているようなことはありません。

 肝心な料理は、基本的にどれも美味しい。中でも、やはり、焼き鳥とタンがとびきり旨い。

 以前、仙台の方が関わっていたとかという説もありますが、本場仙台の牛タンの貫禄があります。厚切りの牛タンは、とにかく柔らかくジューシーに焼きあがっているので、なかなかの味!ただ、日によって、出される牛タンの部位が微妙に異なるようです。運の良い日は、牛の舌の付け根付近の部分が入っていたりします。付け根付近は、霜降り状の出現率が高く、「トロタン」とも呼ばれ、極上の味となる。

20935_3手羽先
20935b_3 丸ごとキャベツ

 焼き鳥といえば、私は、レバーとつくね以外は、絶対的な塩派です。この店は、焼具合が抜群です。表面がいい具合にスモーキーになっていて、香りが最高。欠点といえば、串によっては塩を振りすぎ。酒が進むので、ちょっとしょっぱめにするのが、もしや商法?でも、美味しいです。高血圧には悪いんですけどね・・・食べちゃいます。

 焼系は、何でも旨い。ハツがプリプリふっくらと最高の歯ごたえ。つくねは、うずら卵内蔵の豪華版です。魚は大したことない。ホッケも焼いてくれますが、北海道でホッケを食べたことのある人は、やめた方が良い。パサパサして味気がない。焼き鳥屋は、やっぱり鳥に限る。

 お食事は、焼おにぎりも、鶏ラーメンも美味しい。

 店内の和紙系照明と癒し系BGMでゆっくりと食事することができます。カウンター席には、一人でも定食を注文することができます。

 余談ですが、「炭姫」は、香港コーズウェイーベイにも支店を出したが、香港支店は値段が高いうえ、量が少ない。私は、断然上海店派です。

20935_4とりわさ

★炭火焼き鳥・炭姫
<住所>   上海市長寧区武夷路420号 (武夷路×定西路、交差点西側50メートル)
<電話>   021-6210-5563
<営業>   17:30~00:00
<予算>   100元~300元

私はこうして会社を辞めました(6)―私の早稲田

<前回>
(敬称略)

 そして、夏、私は、早稲田大学から最後の1単位を取った。

 卒業といえば、桜の季節だが、私にとっては、蝉の鳴き声しか記憶に残っていない。恐らく数少ない9月発行の卒業証を持つ人間だろうね、私は。盛大な儀式で、卒業証の授与を受けて、同級生と喜び合うのが夢だったが、私の場合、学生課の片隅で無表情な職員から、卒業証の入った筒を手渡されただけだった。

209269月発行の卒業証は、自慢にならないが、世の中に珍しい

 私は、早稲田があまり好きではなかった。これは、この連載(1)にも書いた。いざこの学校を出て、仕事を十数年もやっていると、この学校の偉大さが分かってきた。

 まず、早稲田人は、匂いで分かることが多い。顧客の中にも、友人の中にも、多くの早稲田人がいるが、初対面で、「あっ、この人、もしや早稲田かな」と匂いを嗅ぎ付けることが多い。中に年配の方だと、匂いからオーラに転じている方もいらっしゃる。こういう方に出会うと、心の奥にギュッとしたものを感じ、幸福感に満ちるひと時を過ごすことができるのだ。

 早稲田人には、早稲田から授かった宝がある。教室で教えられていなくとも、キャンパスの空気が骨髄に染み込み、早稲田人のDNAを成す。

 「諸君は必ず失敗する。成功があるかもしれませぬけど、成功より失敗が多い。失敗に落胆しなさるな。失敗に打ち勝たねばならぬ。」

 「学問は脳、仕事は腕、身を動かすは足である。しかし、卑しくも大成を期せんには、先ずこれらすべてを統(す)ぶる意志の大いなる力がいる、これは勇気である。」

 大隈重信の名言は、私の一生の宝になっている。

 人間の一番の敵は、人間自身である。この敵に対抗する武器は、一つしかない―失敗を恐れない勇気なのである。やったら失敗、やらなかったら失敗するチャンスさえないのだから、やるしかない。

 世の中には道がない。後ろの逃げ道を断ってから初めて、前に道を切り開く可能性が出てくる。

<次回>

私はこうして会社を辞めました(5)―めでたく就職

<前回>
(敬称略)

 古北開発プロジェクトは、いざ始動に差し掛かると、バブル崩壊の兆しがあったのか、金融機関が尻込みする形で、資金ショートが発生し、不発に終わった。後ほど、別の資金調達ルートで再開され、いまの古北の繁栄を築き上げられたが、一番乗りで取り掛かった日系中小不動産のH社は、果実を享受することはなかった。古北プロジェクトに先見の明を持つ黒田社長は、大きな夢とロマンの持ち主で、いまでも、私が大変尊敬している人なのである。

 もし、順調にH社がこのプロジェクトに乗ることができたら、私も、いま古北の一角にあるビルの何階分のオーナーになっていたかもしれない、なんて夢のような話だった。

 泣き面に蜂、悪いことは立て続けにあった。アルバイトに精を出しすぎた私に、再び、ツケが回ってきた。単位が足りない。二度目の留年が決定。

20891

 今回は、内定先のトステムからは、さすがに奨学金の話がなくなったが、逆に、私がトステムに借金を持ったため、もう一年、いやでも、会社が待ってくれなければならなくなった。といっても、いやな顔をされることはなかった。バブルの末期とはいえ、人手不足は解消されておらず、新卒の大量採用も続いた。

 一年後、いよいよ、トステムへの入社が現実になった。が、またまたのアクシデント、卒業に向けて最終点検をすると、何と1単位が足りていない!何回計算しても、1単位が足りないのであった。青天の霹靂!

 これ以上、会社に迷惑をかけるわけにはいかない。一旦、内定を辞退し、奨学金も分割して返しながら1年頑張るしかないと腹をくくったとき、グッドニュースが舞い込んだ。レポート提出だけで、1学期で単位の取れる科目があることが分かった。そのまま就職してもよいと学校と会社両方から青信号が出た。

 「万歳!」、誰も胴上げやってくれないが、めでたく、社会人の仲間入りを果たした私は、何よりも嬉しい。

 当時のトステムは、香港とタイに工場があった。海外バッググランドを生かしたい私は、香港勤務を志願した。会社にも快諾されたが、まず日本国内で修業を積むことで、本社設計部の配属となった。担当業務は、ビルのカーデンウォールの設計だった。

 トステムの本社は、江東区にあり、とてもモダンで綺麗なビルだった。錦糸町駅から本社までは、徒歩15分の道のりだが、途中の川沿いに桜の並木通りがある。入社を祝ってくれたかのように、桜が満開。私にとって、東京の空がこんなに青く、高く見えたことは、いままでなかった。

 入社後は、新人研修が半年ほどあった。あっちこっちの営業所や工場に回されるが、勉強しながら、あっという間に時間が過ぎた。

<次回>

ブログ・ランキングの面白発見、アクセス数と上下位の異なる意味

 私は、ブログの運営仕組みにまったく無知でした。お客様や友人に勧められて、2ヶ月ほど前からブログを始めました。コンサルタントという仕事柄、何でも掘り下げてしまう習性があります。すると、色々といじくっているうちに、面白い発見がありましたので、皆さんと共有したいと思います。

 まず、ブログをやる以上、やはり、アクセス数が物凄く気になることが分かりました。エクスプロアさんのブログは、毎日日本時間0時、中国時間23時に、アクセス数上位ブログのページビューの発表があります。とても、気になります。その時間になると、パソコンの近くに居れば、必ず目を皿にして、チェックします。妻によく笑われます、「良い年して、こんなのどうでも良いじゃないか!」

 といわれても、気になることは、気になる。やはり、自分の成果を人に認めてもらいたい気持ちは、誰でも持っているのですね。

 そこで、私は、三つのブログ・ランキングに参加しました。「ブログ・ランキング」といえば、「どのブログが面白いか」を評価し、番付する場所だと、私が認識していました。

 また、妻に馬鹿にされる、「あなたがビジネス物しか書かないでしょう、あんな堅苦しいものは、ランキング上がらないって、ブログは、ソフト系で面白い物を書かないと・・・」

 なるほど、あれ以来、一生懸命ソフト系を書き出しました。でも、あまり、うまく行かない。最近始まったばっかりのエクスプロアさんの「ブログ・ランキング」の仕組みは、まだ把握していないのですが、ほかに参加した二つのランキング・サイトのメカニズムは、だんだん分かるようになった気がします。

 ブログ・ランキングに参加したてのときは、物凄く下位にあるのが当然です。すると、スタートして数日のうち、毎日物凄い勢いで、急上昇します。ある程度まで登り詰めたら、しばらく横ばいの水平推移になる。さらに、しばらく時間が立つと、じわじわと順位が下がり始める。あれあれ、私のブログの品質が下がっているんですね、改善しないといけないなあと思いきや、よく確認すると、自分のブログのアクセス数は、順調に伸びているのではないか・・・

 不思議に思いました。

 そこで、「ブログ・ランキング」の仕組みを調べてみました。大体以下の仕組みです。

 ① ブログ・ランキングへの参加ブログは、ランキング・バナーをもらい、そのバナーを自分のブログに貼り付ける。

 ② 読者が、参加ブログに張られたランキング・バナーをクリックして、ランキング・サイトへアクセスすると、「IN」ポイントがカウントされる ( 参加ブログ⇒ランキング・サイト )。

 ③ 反対に、読者が、ランキング・サイトから参加ブログへアクセスすると、今度「OUT」ポイントがカウントされる ( ランキング・サイト⇒参加ブログ )。

 ★ここが、重要です。「IN」と「OUT」の対象は、参加ブログではなく、ランキング・サイトに対してなのです。

 ④ さて、いよいよ、ランキング、番付です。一番、重要なのは、何を番付の指標にするかです。ブログ・ランキングのランキング指標は、「OUT」ではなく、「IN」です。「IN」で、順位、番付が決まります。

 つまり、参加ブログは、ランキング・サイトにどのくらいのアクセス数( 参加ブログ⇒ランキング・サイト )を誘致するかで、貢献度を評価され、ランキングされるわけです。もっと、明白に言い換えると、「ブログ・ランキング」は、「ランキング・サイトへのアクセス誘致競争ランキング」、あるいは、「ランキング・サイトへの貢献度ランキング」なのです。

 これは、当たり前です。ブログ・ランキングサイトは、ただでは、運営できません、どこか収益源がないと困ります。そこで、アクセス数です。アクセス数は、読者の集まり度の指標ですから、ランキング・サイトの広告料、ランキング・サイト自身のバリューもそれで決まってきます。インターネット・ビジネスの世界では、「アクセス数」がある意味で、すべてです。アクセス数で、ナスダックに上場できるのです。これは、ビジネス・モデルです。

 そこで、結論その1、「ブログ・ランキング」は、肝心な参加ブログに対しての読者評価の総括ではなく、参加ブログによる、「ランキング・サイトへのアクセス誘致競争・貢献度ランキング」であることが、分かりました。

 次、参加ブログ(ブロガー)側のことを考えてみましょう。少なくとも私自身がそうですが、自分のアクセス数がとても気になるブロガーがたくさんいるのではないでしょうか。この人たちは、とにかく「ブログ・ランキング」で順位を上げようと努力します。順位は、自分の努力に対する読者の評価だと考えているのでしょう。また、上位に入れば入るほど、注目されますので、必死です。

 すると、ブロガーの順位上昇、番付上昇志望が、見事に、ランキング・サイトに利用されたといってよいでしょう。日本国内大手ランキング・サイトの上位参加ブログを見ると、広告だらけだったりするのも珍しくありません。ブロガーが広告塔になっているのです。繰り返します、決して、非難ではありません。ビジネス・モデルとして成り立っているのは、市場の認知ですから、むしろ、大いに評価すべきところです。

 結論その2、ブロガー側にとってみれば、冷静な気持ちでランキングを見つめ、吟味する必要があるということです。ランキングは、決して自分の運営ブログに対する絶対的評価基準ではないことを、十分に理解すべきでしょう。特に、「読者の目線」という意味では、ブログ・ランキングの「ランキング」を過剰に捉えるべきではないでしょう。

 最後に、読者のことです。読者は、「IN」「OUT」関連の上記結論その1を知っているかどうかは分かりませんが、たとえば、「順位1~300」があるとすれば、物理的に、アクセスしやすい上位ブログをクリックしてしまうことが多いのではないでしょうか。すると、「上位1~50」とかがアクセスされる頻度と確率が格段と上がります。アクセスされやすさから、上位が常に上位を維持する可能性も出てきます。下位ブログは、常に日当たりの悪いところに取り残されてしまいます。

 これは、社会現象にも共通しています。日本でも、貧富の格差が一向に縮小することなく、逆に拡大する傾向にさえあるように、「ランキング・サイト」という政府与党が、常に貢献度の大きい上位ブログから大きな政治献金(アクセス数)をもらって、政権を維持しているのと同じではないでしょうか。重要なことは、政府与党が、ゲームルールを決める絶大な権力をもっていることです。そのルールは、「IN」であって、「OUT」ではないということです。

 私は、複数のランキング・サイトで、下位グループのブログを拝見するようにしています。個人的な好みもありますが、中に、質的には、決して上位ブログに勝るとも劣らないような良質なものもたくさんあることに気付きます。ブロガーの都合で、宣伝が下手だったり、更新頻度が低かったりして、ランキングを下げてしまって、注目されなくなると、さらにやる気を無くしてしまう、というようなケースが多いのではないでしょうか。

 結論その3、読者にとって、面白い情報、自分に役に立つ情報を入手したいから、ブログを見ます。さて、読者にとっては、ブロガーの自己成功体験も、ランキング・サイトのアクセス数も、どうでも良いのです。読者は、あくまでも本物の「読者のためのブログ・ランキング」を求めているのではないでしょうか。

 企業の人事労務現場でも同じです。会社には会社の立場、上司には上司の立場、部下には部下の立場、また、お客様にはお客様の立場があります。こういった錯綜複雑な利害関係のなか、互いに最良な結果、利益の最大化を模索するのが、私たち人事コンサルタントの仕事です。

立花聡の新諺釈義、老いたる馬は道を忘れず

 老いたる馬は道を忘れず (おいたるうまはみちをわすれず)
 
 年老いた馬は、長年通い慣れた道を忘れない。経験豊かな人は、物事のやり方をよく心得ている。しかし、中国ビジネスとなると、この限りではない。

 いざ、現地へ行ってみると、しばしば、長年通い慣れた道がなかったり、行止まりだったり、崖っぷちに通じていたり、迷路になったり、猛獣や猟人の待ち伏せに会ったりして、最悪な境地に陥る。

 中国ビジネスは、異郷にいるだけに、常識を捨て、新たな道を切り開くつもりで臨むべし。

 通い慣れた道を忘れることは、なかなか難しい。そのときは、むしろ、「老いたる馬は道を忘れず」よりも、「老いて呆けた馬は道を思い出せぬ」、あるいは、「幼い馬は道を知らず」の方が良い。

私はこうして会社を辞めました(4)―古北開発の思い出

<前回>
(敬称略)

 東京近辺の地上げはもちろんのこと、H不動産会社は、いよいよ中国・上海にも目を向けようとした。

 目指すところは、あの上海の古北地区の開発だった。

 89年当時の上海虹橋空港に、私は、意気揚々のH不動産・黒田社長と降り立った。当時の虹橋空港は、いまのターミナルBの原形しかなく、国内国際共用で、狭い割にはガラガラだった。空港を出れば、灰色の中国がそこにあった。人々の着装は、灰色かブルー系の人民服が中心、女性のスカート姿もほとんどなかった。

 私たち一行のスーツ、ネクタイ姿は、街中でひと際人目を引き、どこに行ってもじろじろにらみつけられる。「あっ、外人だ!」

 早速、開発区政府が用意してくれたバンに乗り込むと、一路、信号がほとんど無い状態で、あっという間に、古北到着。はっきり言って、当時の古北は、一言でいうと、紛れも無い本物の農村だった。因みに、あのときの上海市街地の西側の境界線は、概ね、あの「揚子江ホテル」(いまは、マリオット系のルネッサンスホテル)あたりにあった。揚子江ホテル以西の界隈は、ほとんど田んぼだった。

 雨止んだ直後の古北は、足元が悪い。政府の役人たちが、親切にもゴム製の長靴を用意してくれた。履き替えると、すぐに現場視察。公式通訳はもう一人、中国人女性がいたので、私の主な仕事は、黒田社長のための個人通訳とアドバイザーだった。

 目の前に広げられた古北地区開発のマスタープランは、ほぼ今の街並みをそのまま描いたものだった。あの半円系の道路も、図面に載っていたことは、いまでも鮮明に記憶している。ちょうど、あのとき、泥沼の田んぼに足を踏み入れた場所は、今のカルフール辺りだったかなと思う。

 「何とか、資金を集めたところで、早急な着工を希望する」、開発区の担当役人が興奮している。視察を終えた私たち一行は、上海静安ヒルトンホテルにチェックインして、即会議に入る。

 合弁の話はとんとん拍子で進む。ほぼ口頭合意にこぎつけたところで、盛大な歓迎宴会が催された。これからは、月一回、上海に黒田社長と出張することになる。

 食後、ヒルトン39階のバーでカクテルを飲みながら、当時極めて珍しいフィリピン人バンドの生演奏を楽しんだ。大きなガラス張りの外は、暗い上海の夜。ぽつんぽつんと飲み屋のネオン以外は、何もない。雨上がりの夜空に、星が笑っているだけだった。

 寂しい街だ。私にとって、六本木の街の明かりがこれほど懐かしくなるときはなかった。

 三次会は、街に繰り出し、上海賓館の近くにある怪しいバーに入る。暗いボックス席が3つほどあって、小姐とお話をしながらのバータイムだった。不味いジョニーウォーカーの水割り、湿気たピーナッツのつまみ、カラフルの豆電球、ソファーの破れた皮から、顔を覗かせる中身のスポンジが湿っぽく、肌に触れると全身に痙攣が走る。

 「キスしても良いよ、チップは30元で良い」、隣の小姐が急に色っぽい笑顔を見せる。社会主義国家の中国というイメージは、このとき、一瞬に消え去った、「次、上海に何時来るの、日本の口紅買ってきてくれる?」

 隣のボックスにいる黒田社長は、言葉は大丈夫かなと思いきや、小姐と熱烈なキスを交わしているのではないか・・・なるほど、万国の共通語は凄い!

<次回>

私はこうして会社を辞めました(3)―留年と地上げ屋アルバイト

<前回>
(敬称略)

 トステムから入社内定をもらった。

 しかし、不意な出来事が。卒業直前、気がついたら、単位が足りない。少し足りないのではなく、たくさん足りない。卒業は、絶望的だった。

 トステム人事部の会議室に、私が居た。これからやってくる人事部次長には、どう謝れば良いのか、心臓が止まりそうだった。

 次長がニコニコと入ってきた。あっ、怒ってない。やさしい口調で切り出した。

 「立花君、今年、ダメなら、来年でも良いよ。待ってる、内定はそのまま留保にしておくから。それと、学費は大丈夫か、予定外の出費だろう、なんだったら、当社に奨学金制度があるから、貸し付けようか、無金利で、入社後の分割払い返済、給料天引きで・・・ とりあえず100万円くらいで足りるか?」

 今の時代には、考えられないことだった。私は、涙が出そう・・・。この会社のためなら、一生頑張ろうと、密かに決心した。

 留年に入った。

 当時、私は、二本のアルバイトを持っていた。一本は、台湾企業のビジネス資料の翻訳、もう一本は、H不動産会社の社長黒田氏(仮名)秘書職だった。

 H不動産は、社員10名未満、本社が東京の代々木のオフィスビルにあった。地上げで多くの金を動かす会社だった。社長の黒田は、メルセデス・ベンツの560SELという超高級車を持っている。当時、携帯電話がまだ普及していない時代だった。あの車には、自動車電話がついていた。車両後部に、誇らしげに電話アンテナが立っているのが、当時、国会議員と大会社の社長の車くらいだった。私は、秘書職兼運転手。非常勤アルバイトだが、1989年当時、月給20万円と破格だった。

 昼間の行く先は、さら地の現場視察、法務局での土地謄本取り、金融機関回りが中心。夜は、六本木のクラブ。若僧の私も、おかげで、きれいなおねえちゃんたちと酒を飲むことができるようになった。通い付けのクラブは、有名な芸能人が常連客で、何回も、有名人の酔っ払い醜態を目撃した。もちろん、酔っ払ったら、車の運転ができないから、会社から経費をもらって、白金台の都ホテルが私の常宿になった。

 金曜日の午後、「立花君、車出してくれ」と命ぜられ、私はベンツを正面玄関に乗り付ける。「社長、どちらへ?」、「伊豆!」。

 3時間後、車が到着したのは、熱海の超高級旅館だった。

 「立花君、週末は、ゆっくりと温泉でも入ろう」、温泉といっても、メインイベントは、宴会だった。コンパニオン6名も呼んで、踊るわ歌うわ、ドンちゃん騒ぎの週末だった。

 私にとって、バブル期はやっぱり懐かしかった。

<次回>

Satoshi Tachibana Official Blog