私はこうして会社を辞めました(9)―工場のトイレ掃除
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 90年代初頭トステムの海外部門は、香港とタイに現地法人と工場があった。私は、香港勤務を希望していたが、会社はしばらく東京本社で修行を積んでからという返事をしてくれた。修行とは1…
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私はこうして会社を辞めました(8)―恐怖の朝礼と昼寝
S. Tachibana
<前回> (敬称略) トステムにいる間、私は、上司に色々な迷惑をかけた。というよりも、私は、歪な存在だった。 私のいる本社ビル5階は、5~6の部があって、総計50名近くの従業員がいる。毎朝朝礼当番…
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私はこうして会社を辞めました(7)―コンサルタントはクラッチ
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 「立花さんは早稲田ですよね、法学部?政経?教育?・・・えっ、まさか、大久保キャンパス?」 私は、大久保キャンパス、早稲田の理工学部建築の出身であった。いまは、まったく建築と無…
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私はこうして会社を辞めました(6)―私の早稲田
S. Tachibana
<前回> (敬称略) そして、夏、私は、早稲田大学から最後の1単位を取った。 卒業といえば、桜の季節だが、私にとっては、蝉の鳴き声しか記憶に残っていない。恐らく数少ない9月発行の卒業証を持つ人間だ…
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私はこうして会社を辞めました(5)―めでたく就職
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 古北開発プロジェクトは、いざ始動に差し掛かると、バブル崩壊の兆しがあったのか、金融機関が尻込みする形で、資金ショートが発生し、不発に終わった。後ほど、別の資金調達ルートで再開さ…
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私はこうして会社を辞めました(4)―古北開発の思い出
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 東京近辺の地上げはもちろんのこと、H不動産会社は、いよいよ中国・上海にも目を向けようとした。 目指すところは、あの上海の古北地区の開発だった。 89年当時の上海虹橋空港に、…
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私はこうして会社を辞めました(3)―留年と地上げ屋アルバイト
S. Tachibana
<前回> (敬称略) トステムから入社内定をもらった。 しかし、不意な出来事が。卒業直前、気がついたら、単位が足りない。少し足りないのではなく、たくさん足りない。卒業は、絶望的だった。 トステム…
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私はこうして会社を辞めました(2)―ヘリコプター送迎就職勧誘
S. Tachibana
<前回> (敬称略) 私が大学を卒業する80年代後半の日本は、景気が非常によく、俗にいうとバブル期だった。今のような就職氷河期にまったく無縁で、むしろ、企業は新卒の奪い合い合戦に余念がない。 ある…
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私はこうして会社を辞めました(1)―早稲田よりも慶応?
S. Tachibana
(敬称略) 私の出身校は、早稲田大学だ。しかし、私は、早稲田よりも、あのライバルの慶応義塾大学が大好きだった。 早稲田人なら、誰もが、あの「都の西北」を誇らしげに歌い、そして、声が枯れるまで「フレ…
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