日本国憲法のロジック倒錯と自己矛盾、5W1Hで徹底解析

 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」――。日本国憲法前文について、「に」「を」の助詞問題は別として、基本的ロジックの倒錯を、私なりの「5W1H」で解析する。

 まず、「WHO」

 平和を愛する諸国民とは一体誰?平和を愛さない者(侵略者やテロなど)を排除するならば、排除された非平和的第三者への対処を議論する必要が出てくる。さらにいうと、日本国民自身を「平和を愛する諸国民」に包含されているのか。世界に類を見ない極上の平和憲法を生み出した日本国民なら、当然「もっとも平和を愛する国民」と自負するだろう。

 ならば、まず「自分たち、自国日本を信頼する」ことで、自国の非平和的暴走はありえないだろう。いや、そうではない。安倍政権が「戦争法」を作った。あれあれ、もっとも平和主義の日本自身でさえ、平和路線から逸脱する危険性があるといっているのではないか。ならば、諸外国も同様の原理で、非平和的行動を取る危険性の存在を、自ら論証し、認めたことになる。

 要するに、性善説の理想を掲げながらも、性悪説の現実に傾く自己矛盾である。

 次に、「WHAT」

 「平和を愛する諸国民の公正と信義」。「平和を愛する諸国民」は、必ず「公正」と「信義」の持ち主であろうか。ほとんどの人間は平和好きである。その平和愛好者たちがみんな「公正」と「信義」を堅守していれば、犯罪もなくなるだろうし、警察も裁判所も監獄も要らなくなる。だが、事実は違う。人間は利益や衝動に駆られて不公正や不信義に走ることが多々ある。

 同じ原理で、国家はなぜ国民を信用しないのか。「国民の公正と信義を信頼して、警察組織を廃止し、行政府の警備員だけにする」という国は世の中に存在しない。この通りである。自国民さえ信頼できないというのなら、諸外国の国民を信頼する根拠はどこにあるのか。甚だ自己矛盾である。

 結果的に、これは「信頼」の問題ではない。生物の自己保存、自己防衛、自己拡張機能への非理性的な否定である。

 三番目は、「WHEN」

 非平和的諸外国、あるいは公正や信義をもたない諸外国から、日本国民の利益が侵害されたとき(侵略されることも含めて)ときに、どうすればいいのか。「どうすればいいか」というのは、「How」になるが、ここでは、「When」という仮説に絞り込む。「When」という仮説の質問は、いわゆる護憲論者たちには致命の一撃になる。すると、彼らは、この仮説は「存在し得ない」と、いかにも無力で非論理的な反論に乗り出す。

 科学も哲学もその基盤は「仮説」である。これはもはや周知の事実である。「仮説」を作って論証していくことで、護憲論者の自説が破たんすることを、誰よりも彼たち自身が一番よく知っている。論理的に議論できない。すると、仮説を否定するという愚行に出る。もうここまでくると、いかにずさんか自己矛盾が全面的に露出する

 追い詰められると、日本国憲法が戦争を放棄しているのだから、戦争を仕掛けられることはないと言い出す。これは結論を持ち出して、論拠とする愚中の最愚――。「ぼくは学校でいじめをやらないから、だからいじめられることはない」。全国津々浦々の学校でいじめで苦しんでいる子たちに言ってみるといい。いじめない宣言すれば、いじめられない、いじめが根絶するのなら、全国の教育現場でまず実践すればいい。なぜできないのか。

 さらに、「WHERE」

 戦争は、国家対国家の暴力行為という国境を意識した定義である。しかし、グローバル化によって良い意味でも悪い意味でも戦争をもボードレス化してしまった。一国が守るべき国家利益や国民が世界中の隅々に散在し、浸透する時代になった。日本日本というが、日本の地理的国土に限定して言う意味がなくなったのである。

 昨今のテロ行為もまさに好例だ。外国で日本国民の生命安全を脅かされたとき、日本政府に何ができるかというと、政府専用機を出動して遺体を運ぶだけなら話にならない。

 そのうえ、情報化時代に欠かせない高度な国家諜報能力、日本はほとんどこれをもっていない。国境を越えた情報調達のノウハウも機能も日本に皆無だ。情報戦それ自体が近代戦の最重要な中核部分であることは看過できない。なのに、日本は無力の平和ボケ姿しかさらけ出していない。

 そこで、原点に戻ろう――「WHY」

 なぜ、憲法を改正しないといけないのか。上記縷々論じてきたとおり、日本国憲法は、「理想和平憲法」であって、それを「現実平和憲法」にしなければならないからだ。

 理想を語るのは宗教(聖書)であって、現実を語るのが法律である。同じ日本国憲法前文の続きを読んで欲しい――。「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

 「専制」「隷従」「圧迫」「偏狭」・・・。悪に満ちた世界である。これが現実なのである。なのに、「公平」「信義」や「信頼」という対立項が持ち出され、まさに最大の自己矛盾を構成する。憲法で理想を掲げることがとても大切だ。だが、その理想の実現に最大の基本的担保を提供するのがもっと大切であって、憲法の使命でもある。

 戦後に作られたいわゆる「平和憲法」は、単なる「理想平和憲法」に過ぎない。時代や世界の変遷によって、この「理想平和憲法」がすでに「空想平和憲法」と化しつつある。平和の実現にしかるべき担保を供し、確固たる「現実平和憲法」に書き換えようと、全国民がその切迫性を認識すべきではないだろうか。

 正しきは、「平和を愛する諸国民の公正と信義の確固たる形成と実現を目指し、われらの安全と生存を保持しようと決意した」であると、私が主張したい。

 最後に、「HOW」

 憲法改正の是非よりも、どのように改正するか。しいて言えば、どのように、日本国民を確実に守り、確固たる現実的な平和を実現するかという「HOW」を、いますぐに、考えて、その全貌を描き出さなければならない。そういう時期にさしかかっている。国民全員一緒に考えようと。考える機会を奪われてはならない。だから、参議院選挙、改憲勢力である以前に、「論憲」勢力の「3分の2」を絶対に取ろう。国民全員一緒に考え、議論する機会を手に入れよう。

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コメント: 日本国憲法のロジック倒錯と自己矛盾、5W1Hで徹底解析

  1. 青山さんもついに立ちました。貴殿も千年撞いても鳴り響く大鐘。共に闘うべし。

  2. だから貴殿は国会議員になるべし。私はあなたに投票する。

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