等しく貧しい国か貧富格差の国か、富も人も移住する

 憲法改正以前の問題で、国民が望む国家像という国民の意志を問うべく、国民投票を実施した方がいい。戦後の経済成長で期待されていた「国民が等しく富める国」の夢がすでに消え去ったので、選択肢から削除する。増えない富、限られた資源、進む高齢化、激化する競争という現実と向き合って、以下3つしかない選択肢から1つを選ぶという投票。

 ① 国民が等しく貧しい国
 ② 貧富格差の国
 ③ どちらでもよい(日本を離れて海外に移住するなど)

 さあ、結果はどうなるか。

 7月16日付の私のブログ記事「共産主義バージョンダウン、社会分断を煽動する輩の真意」に、読者から興味深いコメントが寄せられた(本文末尾に添付する)。

 私が思うには、共産主義的な富の再分配政策は、21世紀の今日において、富の海外流出と真の日本空洞化しか招来し得ない。日本の富裕層からすれば、収奪的な国家政策に対抗し得る策が余りにも多い。しかも、合法的にだ。この流出の手助けそれ自体も大きなビジネスチャンスであって、金融機関や投資業者をはじめ、多くの中間業者が虎視眈々と待ち構えている。

 日本社会の共産化は資金逃避を生み出し、カネの流れは多くの商機を生み出す。経済だけでなく、政治の流動性も中間搾取層を利し、新たな特権階級を生み出す。「庶民の声」に耳を傾け、「庶民の味方」と自称する輩はいつの間にか、庶民のうえに立ち、そしてただでさえ薄っぺらな庶民のポケットに手を突っ込むのだ。

 最終的に、日本の富を海外に追い出し、日本は「貧富格差の国」から「国民が等しく貧しい国」に転落する、というシナリオしかない。だが、それが大多数の国民の選択であれば、むしろあってしかるべきだ。何ら問題もない。等しく貧しい方が心の安寧を得られるならば、メンタル的によろしい。ブータンのように、貧しくても幸せな国を目指すのも悪くない。

 アジアに目を向ければ、マレーシアやシンガポールあたり、まさに日本の富の受け皿になる好条件がほとんど揃っている。ここ数年、私の私的な友人だけでなく、顧客先企業の経営幹部らもマレーシアへの移住手続を終えた人、家族全員か一部がすでに移住した人は数十名に上る。現地で起業してすでに軌道に乗った人も多い。このような人たち、いわゆる上記投票選択肢の3番を選ぶ人がこれから、どんどん増えるだろう。

 以下読者コメントを全文転載して紹介したい。

<読者コメント>

 非常に興味深く読みました。私も今の分断工作はしっかり画策されたものであると分析してます。大きなポイントは、通常マルクス主義では富裕層、貧乏人と分け対立プロパガンダを行うわけですが、そこには国家という中間搾取を行う人らがおります。共産党の欺瞞は、貧乏人は金持ちから搾取するとは言いますが、彼らが税により国家により搾取されてるとは言わない面白さがあります。

 またじゃあ自民はというと保守とは名ばかりでそのやり方は国家社会主義です。私は最高税率ですが、住民税と合わせると合計55%取られますが、その所得税アップという富の再分配、というマルキシズムを、保守を自称する政党が行い、増税されてます。所得税45%、住民税10%ですね。事業者だから消費税も別にです。

 私にとっては自民は、政策だけ見ればこれまた共産主義を感じます。日本ではおそらく本当の保守政党はない、と思います。

 大きくいえばこの対立構造は仕組まれているように見えます。ちなみに日本は資本主義ではないですね。資本主義では公的部門と私的企業が分離してまして、日本の場合は公的部門が私的企業を管理管轄しますから、あり方としては社会主義と封建制ベースの中に前期資本主義が入ってる社会システムと私は見ます。

 私もマレーシアに行く身ですが、やはり社会主義なので日本は衰退不可欠だと思います。その前におっしゃる社会主義革命なり共産主義なり、表向きは自由民主主義を言いながらあるかもしれないと思います。また共産党がそもそも資本主義自体が社会主義であった日本にはないのにあったことがないのに・・・。

 資本主義の終焉を言うのは何とも考えさせられます。公的部門が私的企業を管轄して所有権が曖昧な資本主義というのは成り立ちませんよね。

 が、大衆はそこに引き付けられますから、多数決型民主主義は、資本主義精神のない日本ではまだ早いのだろうという気もします。

 私もアジアによく滞在してるのですが、個人はアジアに避難するしかないと感じます。私も先生と同大でおっしゃる点がよくわかりますが、今の日本ではこの分断工作についての警鐘が無視されてる点が問題ですね。おそらく本当であるから無視されるのでしょう。