世界経済を法的支配できるのか、アタリ氏のサバイバル論

 ジャック・アタリ氏の「危機とサバイバル」を読了。正直、マルクスの現代版といっていいだろう。ただ、マルクスのような緻密な理論基盤が欠けている。たまに異なる思想や価値観にも接してみようと、買って読んでみたが、やはりがっかりした。

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 「べきだ」「する必要がある」「しなければならない」という3つの用語が全書を貫いている。特に後編の国家や人類のサバイバルという結びにおいては、3用語のオンパレードだ。政治家の施政方針演説にしても、少々鳥肌が立つ。実行可能な施策はほぼ皆無だ。

 本書は基本的に正論を語っている。8割以上は正論だろう。ただ、その正論の8割以上は、実現する可能性が極めて少ないかほぼゼロに等しい。つまり「空論」に近い正論である。リアリストである私の偏執的な目線だったかもしれないが・・・。

 書の最終ページでは、人類的・地球的な危機への緊急対策として、「少なくとも地球規模の『大議会』を設立すべきだろう』」と提案を打ち出された。思わず噴き出した。1つの国連でもうたくさんなのに、今度は「地球大議会」だと。結局、大国が牛耳るグローバル利権集団が増えるだけだ。

 理念はいいが、実現できない。その致命傷といえば、立法権を作り上げても、地球規模の実質的司法権は国家主権が存続する限りありえないことだ(強制執行の担保がない)。国際法の判決に向かって、「紙くず」だと吐き捨てる国を目の当たりにして、平和的な良識と唱えバラ色の夢を膨らませても意味がない。

 アメリカ型資本主義モデルに限界を感じ、次世代の「像」を模索するというのは、善き意図であっても、結果的に実行可能な「像」が見つからなかったわけで、「べき論」で終始するしかないのである。

 グローバル・ガバナンスによって世界経済を「法の支配」の下へと囲い込むことを目指さなければならないと、アタリ氏が力説するにもかかわらず、抽象的なスローガン以上のものは何一つ提示できなかった。結局、これが「21世紀の資本」のピケティ氏にも通じる。いや、むしろ国家の消滅を示唆する論調はよりマルクス論に近い。

 正論が怖い。実現不能で反論できない正論がもっと怖い。そしてそのような正論を大義として担ぎ出す輩が一番怖い。そう感じずにいられない。

 最後になるが、本書の個人や企業のサバイバルの部では、一部実用的な提案も盛り込まれているので、参考する価値がある。ただ理念的なものが多く、各自実施策を練った方がいいと思われる。

コメント: 世界経済を法的支配できるのか、アタリ氏のサバイバル論

  1. この本の個人のサバイバルに関して、個人的には評価しています。 わたしは国家はサバイバルする主体ではなく、逃避する対象だと思います。
    ジャック・アタリはユダヤ人で、彼の著書には「ユダヤ人、世界と貨幣」という本があります。逃げ遅れる人と間一髪サバイバル出来る人が歴史的(例、出エジプト、ポグラム、ホロコースト)に浮き彫りにされています。
    衰退する国家では時に、排他的な空気が漂ってきます。 為政者もその空気を意図的に利用します。 そして戦争が繰り返されます。
    空気を感じとることが重要だと思っています。

    1.  個人サバイバルの部に関して、同感です。ただ企業や国家次元になると、サバイバル戦略における(三者の)矛盾や相反効果が現れる。排他的空気を利用することそれ自体もサバイバルの手段の一つであれば、それを利用する利益集団は、なにも為政者に限られたものではありません。であれば、戦争もその必然的結果、あるいは副産物として認識されるべきでしょう。

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