新自由主義、資本主義制度下の過激な競争社会から、帝国主義に発展するという論があるようだ。
もし、この論が成立するなら、その前提はたった1つ。グローバル競争を遮断しようという反競争政策から生まれる国家の孤立の深化である。
反競争政策で考えられるのは、資源と富の再分配、貿易障壁などである。その先は生産性の更なる低下、国内資産の流出、産業の海外移転といった挙国ベースの国家貧困化スパイラルにほかならない。
反競争的な平均化で、等しく貧困になった国は珍しくないが、等しく富裕になった国は今かつてあったのだろうか。
反競争論者がいわゆる帝国主義を引っ張り出すのは、要するに、競争行為を「悪者化」するためだ。しかし、競争抹殺こそがグローバル時代の最大のリスクであって、帝国主義化の誘因でもある。
その先が本物の行き詰まりと暴走リスクなのである。
グローバル化が最善であるという主張は、わかりやすいです。ずっとそういわれてきましたし、日本もその方向で進んできたと思います。しかし、実際には、どこかの時点から、幸せな人よりも不幸な人のほうが増えてきたように見えます。
グローバル化による恩恵というのは、一部の強者に偏るものなのでしょうか。だとしたら、グローバル化が最善であるというのは、一部の国民にとってであるということになります。
或いは、グローバル化による恩恵というのは、平均化されるものであり、貧しい国を豊かにしていくものであり、世界的にみると豊かな国が増えていくということなのでしょうか。そういう意味では中国は豊かになったといえます。
どんどん貧しい国が豊かになっていく代償として、豊かな国の中級階層が没落していうことなら、グローバル化は必要な悪ともいえるかもしれません。
しかし、そうなるとグローバル化と愛国の間には矛盾が生じるようにも思えます。
また、世界的に見ても富が一か所に偏るならば、グローバル化による恩恵は世界のほとんどの人にとって意味がないことにはなりませんか?
立場先生はどのようにお考えですか。
素晴らしい課題提起です。今日のブログで少し触れる予定です。