アインシュタインは道徳裁判所で裁かれるか?

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 一昨日と昨日のブログ記事、日本社会の「道徳自警団」と「市井裁判所」の話に関連して、読者から興味深い反響があった――。

 いわゆるこのような現象はそもそも人間の本能の1つで、ソーシャルメディアの発達によって、その本能が余すところなく表出された。ただそれだけのことだ。私はこの説明には概ね賛同だ。合理的な仮説だと思う。

 それに伴いさらなる問題はいろいろ浮上するが、それらをすべて割愛し、1つだけ取り上げたい。それも本能的な私利私欲の見地からの話だが、著名人という他人の家庭内問題やら不倫やら、それが興味津々で評論や議論してその末、自分に何か利益があるのかだ。

 私自身の価値観では利益を見出せない。時間の無駄で自分自身のルサンチマン感情の増殖につながれば、プラス要素は見当たらない。でも、「道徳自警団」の人たちはやはり正義感をもって行動に出たのであろう。

 仮に著名人スキャンダル糾弾が公益行為だとしよう。ではその公益行為によって、著名人のスキャンダルという悪現象は社会から消え去るかというと、それはない。もしや暴露されたのはほんの氷山の一角に過ぎないのかもしれない。

 先日、フェイスブックで、三橋氏の暴力問題を激しく糾弾するある人がこう語った。「そのような悪い人が書いた著作を購入するのは、悪に生活の糧を提供することだ」。私はふと思いつくはアインシュタインの不倫と家庭内暴力問題だ。それは歴然とした批判対象であれば、彼の量子力学と相対性理論をもボイコットすべきだろうか。

 著名人が聖人君子でなければならない理由って何だろう。まあ、理由は「道徳自警団」や「市井裁判所」がたくさん用意してくれるだろうから、一々考える必要もなかろう。私は無節操にもこう思う。

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コメント: アインシュタインは道徳裁判所で裁かれるか?

  1. アインシュタインであれ、バラエティ番組に出たら公私ともに批判の対象になるでしょう。

    バラエティ番組に出るということは、大衆目線を受け入れるということで、それによって何らかの利得や損失を得ることになります。それは番組からの収入であるかもしれないし、名声であるかもしれない。

    その逆に批判になるかもしれない。その本質的な理論的価値は、絶対的なものとして存在しうるにせよ、商業的な価値は大衆に委ねられることになりますから、私生活の質も含めての評価ということになるでしょう。

    そして、問題のバラエティの範疇が現在では、テレビ番組に限らず、フェイスブック、ツイッター、インスタグラムにまで及んでいます。そこで活躍なり、宣伝なりするということは、その商業的価値が本来の専門ではなく、バラエティ目線によって評価されることを受け入れるということです。

    だから、アインシュタインがSNSでものを語るなら、当然バラエティの洗礼を受けることになるでしょう。それが嫌なら物理専門誌のみで自分の理論を発表するしかないでしょうね。

    1.  「アインシュタインであれ、バラエティ番組に出たら公私ともに批判の対象になるでしょう」。ご見解には賛同します。多分そうなるでしょう。アインシュタインとバラエティ番組とが相容れないこと、これは間違いないでしょう。

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