上海で撮った1枚の記念写真、私は「お上りさん」である

 写真(2019年11月4日撮影)を見てほしい。私の背後に映っている上海・浦東方向の黄浦江上には、一隻の船影も見えない。デジタル写真で修正処理したわけではない。実景である。中国の指導者や外国人要人らの上海来訪で、あらゆる船舶が事前に水域から排除されたのである。

 陸上も同じく、和平飯店界隈一円から通行人がすべて排除され、物々しい警戒態勢が敷かれた。指導者に直訴しようという市民が現れると見苦しいから、排除することは(実効的意味において)理解できるが、船舶まで排除する必要はあったのか、甚だ不思議である。とはいっても私のような素人では、要人の身辺護衛についてその意味も実務も理解できるはずがない。

 一方では、「良い写真」が撮れたと喜ぶのも束の間。よく見ると、浦東の超高層ビル群と一隻の船影もない黄浦江の集合体はいかにも無機質で、それを背景に撮ったこの1枚に満足感を抱いてしまうほど、私の「お上りさん根性」がひどい。美的感覚の欠如も甚だしいものだ。

 そもそもこの景色はなぜ、上海あるいは中国の代表的風景に定義されたのだろうか。美学的な判断は人によってそれぞれ異なるかもしれないが、少なくとも私はこのスカイラインに一度も美を感じたことがない。写真に関しては、いかにも定番風景を背景にするいわゆる「記念写真」の次元に限られた話であり、美の共存は要請されない。

 経済発展のシンボルは単なる符号に過ぎない。GDPも然り。文化や涵養、普遍的価値観、人間的包容力……、そうした部分は中国がめっぽう弱い。そして、パワー。財力、武力、魅力という3つの力があるとすれば、この国にはひたすら魅力だけが欠けているように思えてならない。魅力とはオーラ的なパワーであり、富をなくしても、人を引きつけて離さない力である。

 「お上りさん」が写真を撮り終え、その場を去ろうとしたとき、ちょうど背後のビル群が夕日を浴び始めた。明日の上海はどんな街になろうか、私には興味も関心もない。私は単なる「お上りさん」に過ぎない。

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コメント: 上海で撮った1枚の記念写真、私は「お上りさん」である

  1. 立花さんに理解できていないことはまだたくさんあると思います。中国専門家と自称している割には、中國への勉強姿勢が足りません、コメントも軽々しい。中国古代文献を読まれていたと思いますが、歴史を熟知して、現代の中国の実情を感じ取ってほしいです。特にここ200年間の屈辱史が中国人にとってどれだけの影響があったのでしょうか。
    教科書を読まれていますか、古代から近代はあんな輝いていた中原文化は、突然西側の列強諸国から虐められ、文明国家を一晩で、野蛮国家に仕上げた。当時の日本は、工業化進み、何とか列強から逃され、自立しながら、列強の一員になったと。日中戦争がやってきた。。。ここは省略。言いたくない
    学生時代を思い出しますが、なぜ急にブレーキをかけてしまったのでしょうか。それは嘘でもなく、本当です。反省点は何か、ずっと考えてしまっています。10代~いまの50台にも同じことを知らないうちに、国内でも海外でも実証してきたのです。それは工業化していなかった愚かな中国時代だったのです。では、問題を解ける鍵が分かった。その瞬間はおそらく鄧小平氏70年代に改革開放を推し進めた時の悟りと同じです。財力、武力は付けやすいが、魅力は付けにくいとおっしゃったことも頷きますが、魅力とは時間がかかるものです。今の日本人も一瞬で残悪な侵略者から大人しく、人の話を聞けるようになったのですか。違います。それは戦争を経て、日に日に考え込んだ結果に、何十年もかけていたのではないでしょうか。中国も同じ、なぜ時間をくれないでしょうか。今すぐに世界最高モラルと比較して、米国スタンダードを押し込もうとしているのですか。魅力は少しずつ、しかも、すでにずいぶんところどころ、魅力を感じ取れるようになったのですが、それを無視しているか、まだ知らないだけ。
    現代になって、日本は朝鮮戦争のお陰で、米国から過保護され、経済もサイエンスも劇的に向上してきた。わずか60年の平和と国民の自信力をつけてきた。
    では、長い歴史からみれば、ここ数十年の民主国家の経験では、もう戦略史を忘れ去って、事実も確認できない噂に学者としてのエビデンスありきを忘れ去っていたのですか。
    歴史は必ずその選択があります、最後に選択していたのは、100年前の列強組から唱えている民主で中国を動かすことができません。中国運命は中国人による選択です。特に今の時期。中国政府を攻めれば攻めるほど、国民からの指示が高くなり、これはほかの国に理解し難いことですが、結果的には、立花さんたちの望み通りに行かず、共産党を助けてきているわけです。感謝してくれているだろう。
    どこ国も、外交より国内民生問題で政権を動かすことが確実に力強いですが、外国からのエビデンスも提供できず、ただの噂、BBC、衛星写真などだけで、世論に混乱させることは、実に国内問題をクローズアップできず、一般国民は外国政府と団体は悪いですというイメージを与えてくれています。
    香港は、どうなるか、香港人だけで決めることではなく、沖縄問題も、沖縄人だけ決められないと同じ、基地移転は、県議会の結論を無視している。同じことを比較して考えるべきではないか。
    以上長文で批判コメントにご承知ください。

    1.  私に理解できていないことはたくさんあることは仰る通りです。私は「中国専門家」と自称したことは一度もありません。それより否定することはたくさんあったと思いますよ。「自称中国専門家」がさぞかし名誉ある押し付けであっても、有難くそれをいただく立場にありません。

       それから、中国への勉強が足りないのも、ご指摘の通りです。ただ、勉強する気になれないのです。人生の時間に限りがあって、中国よりもほかに価値のある勉強に時間を投入したいと思っています。これもひとえに個人的価値観や美学の問題だからです。

       本稿も「お上りさん」と言明したうえでの直観的描写に過ぎません。「興味も関心もない」ことまで強調していました。「軽さ」がポイントで、議論の体裁にしていません。軽く読み飛ばしてください。せっかく長いご評論をいただいても、貴重なお時間、本当に申し訳ないと思います。ご容赦ください。

      1. TONY 様

         あなたの書き込み投稿は、いってみれば、共産党風の強硬的威圧的な言い方が多く、正直、日本を初めとする西側諸国では、ウケが悪いのです。そこで、「魅力」をつけるために、僭越ながら、私のほうで、少し修正させていただきました。もちろん、まだ突っ込みどころ満載ですが、少しでもソフトトーンにすれば、納得するまでいかなくとも、話をしてみようかなという西側の人も増えるのではないかと思います。また、今度改善版の書き込みを期待しております。 立花

        ■■■一案としての修正版■■■

         立花さん、中国関係のことを多数書かれて、おそらく中国のことに詳しい方ではないかと拝察いたします。問題を捉える際の視座や視線、視野は様々で、いくつのポイントを共有させていただければと思います。

         中国人は古来から脈々と伝承されてきた中原文化、輝かしい歴史を誇りに思ってきました。しかし、それが近代2世紀にわたって、列強によって無残に打ち破られました。一方では、アジアの一員である日本は、そうしたなかでも変革を遂げ、なんとか植民地化から逃れただけでなく、ついに列強に加わることに成功し、中国に戦争を仕掛ける所まで至りました。日中間の苦渋な過去にこれ以上触れるのをやめにしましょう。この歴史には、中国人もそれなりのコンプレックスをもって、「屈辱史」と名付けたことだけは知っていただきたい。

         中国は工業化に取り組まなかったのが間違いでした。これを悟った鄧小平氏は改革開放を決意しました。そこで財力、武力はついたものの、なかなか魅力が付かなかったことも実情ですが、魅力をつけるのに時間がかかります。戦後の日本人は謙虚な姿勢に変わりました。それは時間の積み上げで悟られた結果ではないでしょうか。何十年もかけてです。中国人にももしや、同じように時間が必要なのかもしれません。そこで、性急に世の基準とされる米国スタンダードを押し付ける。それが必ずしも正しいとは限らないとも思えますが、いかがでしょうか。

         今の中国人は、ずいぶん魅力がついたと自分自身で感じているでしょうが、もしや外部から見られた姿とギャップがあるかもしれません。自惚れと思われているかもしれません。一所懸命美しくなろうとする女性が、「あなたはやっぱりブスね」と言われたとき、どう感じるのでしょうか。少し過酷と思いませんか?

         戦後の日本は米国に守られ、朝鮮戦争もあって経済力が急激に伸びました。国民も自信が付きました。そこで侵略の歴史を置き去りにしていいのかという観点もあります。歴史の選択といいますが、1世紀前の列強諸国が唱えるいわゆる「民主」を、中国人民が果たしてそれを望んでいるのでしょうか。今この時期をみると、共産党政権は西方諸国から圧力を受けています。その外圧と反発とは正比例になることも考えられます。結果的に、逆効果となってしまう恐れはありませんか。

         外交と内政とがありますが、どこの国も内政優先の傾向が見られます。根拠を見ずにして諸外国のプロパガンダを受けるだけでは、中国人民の矛先が外部に向けさせられることもしばしばあります。まして、香港のことは香港人が決められないように、また沖縄のことも沖縄人が決められないように、その類似性も考慮に入れるべきではないでしょうか。

         以上、1つの観点としてご参考になれば幸いです。

        ■■■

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