和や共生、日本人の夢見る理想郷の空虚さ

 和や共生は、日本人の夢見る理想郷。それを実現するための前提はたった1つ、敵、競争者と弱き自己を超克する強さである。

 ダーウィンの焼き直しにすぎない私の「強者理論」に反感を持つ日本人(クライアントを含む)はたくさんいる。「和」や「共生」の価値観に反するからだ。

 勝者が結果で客観世界を変えるが、敗者は解釈で主観世界を変える。という現状は変わらない。解釈は負け犬の遠吠えであり、敗者の傷の舐め合いは鎮痛効用があっても勝利の道へ導くことはできない。

 「和」とは、ルール制定の力を持ってこその能動的な和と無力故の自己美化する受動的な和という2種類がある。その違いは、和を行動で実現するのかそれとも口先で叫ぶのかで分別される。今の日本人の95%以上は後者である。

 その現実、本質は、世界に見抜かれている(バレている)。だから、世界の悪は日本人を騙し、いじめ、蹂躙し、無視し、見下し、利用し、そして搾取してきた。にもかかわらず、大方の日本人は解釈で自己を美化し続けている。その悲惨な事実を明らかにする者はときには「反日」の類に一括りにもされる。

 そういう民族や国家はまさに魯迅の描いた阿Qにほかならない。

 べき論、美辞麗句、美しい理想論を語るの日本人は、余りにも多い。食傷気味だ。だが、理想と現実のギャップを埋める実践論の人が殆どいない。実践論の第一章は、理想のレベルを落とすことだ。

 私自身は理想を持たない主義で、ダーティーな現実にどっぷり浸かる人だ。コンサルタントとは、そういう仕事だと思っている。

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