西側のルールは、馬鹿のために設計されている

 ロシア、プーチン大統領の直近の演説の一節――。

 「西側のルールは、馬鹿のために設計されている。徹頭徹尾の欺瞞だ。ロシアは千年の文明をもつ国だ。これらにコントロールされることはあるまい」

 西側ルールの基盤は、「善」と「悪」の二元論――民主主義が善であり、独裁専制は悪である。その民主主義の中身がどうであれ、西側はまずその基盤に立脚すれば、永遠なる正義を手に入れる。不敗の法則なのだ。民主主義に対するあらゆる懐疑や批判は議論の土俵に上がることすらない。

 私のような心臓に毛が生えている人間以外に、「民主主義っておかしい。変質してない?」などと言える人はなかなかいない。「あなたは独裁者の肩を持つのか」と即時に叩かれるのが目に見えているからだ。それは西側ルールの基盤であり、善悪の二元論で、ポリコレの原点である。

 多様化を認め、議論を認めているのは民主主義。しかし、「独裁者の肩をもつ」意見は叩き潰す。矛盾ではないか。それこそが独裁的民主主義ではないか。西側哲学の原点は、批判的思考、懐疑である。なぜ民主主義は批判できないのか、懐疑を許さないのか。おかしいだろう。

 多くの人はそのような社会的不利益を回避するためにも、洗脳されたまま、民主主義というラベルの付いたルールを無批判的・無懐疑的に受け入れ、毒までも進んで飲みこむのである。それがプーチンが言っている西側ルールと「馬鹿」の関係である。

 いずれも支配の形態である以上、民主制と独裁制に共通しているものがある。それは、「考えるな」「正解を覚えろ」という庶民に対する愚民化教育である。

 ただし西側のルールは、「民主」というより巧妙な手法を取っている。独裁制は単純に国家暴力によって人間の思想を抑え込むのだが、民主制はうまく人間の欲望、妬み、ルサンチマンといった本能を利用し、自分を制限する思想の監獄を自ら作り上げる形を取っている。それがソフトパワーというもので、引っかかった人たちはプーチンに「馬鹿」と呼ばれたわけだ。

 独裁制も民主制も支配である。独裁制が支配の技術ならば、民主制は支配の芸術である。独裁制は支配者が人民のために物理的監獄を作るが、民主制は人民が自分で精神的監獄を作り、自分に終身刑を宣告する。

 人間はみんな自分のことを馬鹿だと思っていない。だからプーチンの哲理は広く受け入れることはない。馬鹿たちは今日も明日もそして明後日も民主主義の下で、「主人公」になった気分で、精神的監獄に監禁されながらも我が世の春を謳歌し続けるだろう。

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