我が異端児のレ・ミゼラブル@花園飯店、世の中の三つの選択肢

 先ほどログで書いた花園飯店(オークラガーデンホテル上海)のうるさい中国人客をFBにも転載すると、このようなコメントが来た。

 「何をやっても中国人客と日本人客は併存できないですね、花園もローカル客がたくさん来るようになったことはおっしゃる通り喜ばしいことですが。残念でもありますね。中国人の考えや行動が治る事はおそらく中国国内では無いでしょうから。日本に長く住み、なじめた中国人は逆に中国に戻ってもなじめないし苦労されています・・・」

 私にも、日本在住の中国人の友人がいる。彼・彼女たちのなか、どんなことがあっても中国に戻ろうとしない人がいる。十数年前、私から「中国に戻ったらどうか、チャンスがたくさんあるよ」と誘っても、「いや、中国はもう馴染めないので、日本に住み続けるよ」と断られる。なぜですかと聞いたら、「中国の『中』は世界中心の『中』、自己中心の『中』、私なんかは中心から外れた人間だから、中心に戻れないし、戻らないほうがいい」とあっさり。

 高級ホテルで騒ぐ中国人客はその一例。注意しても、「ここはあなたの家じゃあるまいし、私だって金払っているんだから」と喧嘩になる。だから、最近は注意しないし、ただ異なる種の人間だと思って、無視しているだけ。

 自分のことは他人からどう見られているか一向に構わない。これはこの国に存在する一種のかなり普遍性あるロジックであって、この人たちにとっての正論だ。その正論の持ち主たちにとってみれば、私や私と同じロジックを持つグループは一種の異端児、いや一種の怪物でしか見られない。まして、「日本企業のセミナーのために、なぜ中国人客が静かにしてやらなきゃならないの」と怒鳴られるのがオチで、ホテルにも迷惑がかかるだろうから、むしろ忍耐と離脱を選んだほうが賢明だと思った。

 ガーデンホテルもそうだ。うるさい中国人客のことで、毎回、謝りにくる日本人責任者を見て、私は気の毒に思う。何について謝っているのだろうか。謝っても謝っても向こうも客のことだから、きつく注意するわけにも、ホテルから追い出すわけにもいかないし、たとえ追い出したとしても、また次から次へと同種がやってくる。

 昨日の苦情を受けたホテル側は、今日はわざわざ会議室の付近に、「会議中、静粛にお願いします」という中国語の掲示板を出してくれた。にも関わらず、ただただ無視されているだけだった。ホテルの日本人責任者たちはやるべきことをすべてやった。それ以上恐らくなす術がない。それでも、ただただひたすら謝りに来る。現状を変えることができない。これを承知のうえで、私たちの不満と怒りを少しでも和らげることができればと願って、ただただひたすら謝り続ける。それを見ていると、私はひどく心が痛み、涙が出そうだった。これ以上、ホテルに迷惑をかけたくない、困らせたくない。私たちは去ることを選ぶ以外道が残されていない。

 無力と無念、そして悔しさ。日に日に胸の中に蓄積されてゆく苛立ち、心の病に発展する前に、私はこの国から去ることを選ぶ。

 世の中には常に三つの選択がある――。人を変えること、自分を変えること、それがどっちもできなければ、去ること。