● 「全部ぶち込め」――韓国東海岸は境界線を嫌う
5月3日午前、注文津から束草(속초=ソクチョ)へタクシーで移動。東海岸「魚の部」第2ラウンドは、ムルフェ(물회)である。向かったのは、束草の有名店チョンチョスムルフェ(청초수물회=Cheongchosu Mulhoe) 。午前11時前に到着したが、すでに満席状態。韓国地方都市では珍しくない。朝から海鮮で戦闘態勢に入っている人間が大量にいるのである。

ムルフェを、日本人に説明するのは難しい。一応、「刺身入り冷製辛味スープ」と説明できなくもない。しかし、それでは完全に外す。これは、日本料理の延長線上にある食べ物ではない。もっと雑で、もっと乱暴で、もっと韓国的だ。むしろ、「海鮮を冷麺化した狂気」と言ったほうが近い。
巨大な器の中に、刺身、ホヤ、タコ、貝、海藻、野菜、梨、コチュジャン系の真っ赤なスープ、氷、そしてご飯まで全部入っている。全部である。普通、日本料理なら分ける。「刺身」は刺身、「飯」は飯、「汁」は汁として、互いに境界線を守る。しかし韓国は違う。境界線を最初から破壊する。
しかも雑だ。「相性」とか「順番」とか「繊細な調和」とか、そういう発想が薄い。冷たい、辛い、生臭い、甘い、酸っぱいを、一つの器に全部ぶち込む。そして平然としている。これが実に韓国東海岸らしい。

● 「最初から崩壊している」――ムルフェの二層構造
さらに面白いのは、黒っぽいまだら模様の海鮮である。最初、「これは何だ」と思ったが、どうやらナマコ(해삼=ヘサム)系らしい。日本料理なら、ナマコは酢の物として少量を上品に出す。しかし韓国は違う。ムルフェの中に普通に放り込む。しかも、刺身、ホヤ、タコ、ナマコを、冷たい辛味スープの中で全部混ぜる。
普通、日本人の感覚だと、「整理しろ」と言いたくなる。しかし韓国東海岸は、「海のものなら全部一緒に食えばいい」で押してくる。食べ方も雑である。最初は上に乗った刺身をそのまま食べる。白身魚、ホヤ、タコ、ナマコ、貝。それぞれ単独で味わう。ここだけ見ると、まだ普通の刺身文化に見える。

しかし、下へ掘り進むと、世界がさらに雑になっていく。実は、ムルフェは最初から「二層構造」になっている。上には、まだ独立状態を保っている刺身群。そしてその下には、すでに赤いスープへ沈められた刺身群が潜んでいる。ちょうど、うな重のご飯の間にうなぎが埋まっているような感覚だ。
つまり、最初から「崩壊」は始まっているのである。食べ進めるうちに、上層の刺身が徐々に赤いスープへ沈んでいく。すると、下層ですでに辛味と酸味に染まった刺身と融合し始める。氷が溶け、魚の脂が流れ、コチュジャンの辛味と酢の酸味が全体へ拡散する。そこへホヤの海臭さが突っ込み、さらにナマコの妙な食感まで混ざる。
味が、どんどん「整理不能」になっていく。しかし、不思議なことに、旨さも増していく。日本料理なら、「混ざる前」が完成形である。しかしムルフェは逆だ。混ざり、崩れ、境界が壊れていくほど、本領を発揮する。実に雑な料理である。味がどんどん雑になる。だが、なぜか旨い。

● 「細かいことはいいから食え」――韓国東海岸の海そのもの
さらに後半になると、店側は完全に開き直る。「もう混ぜろ」である。ご飯や麺を投入する。全体をかき回す。赤いスープに刺身も野菜も海藻も飯も全部溶け込み、「刺身料理」「冷麺」「海鮮丼」「雑炊」の境界が消滅する。ここまで来ると、もはや料理ジャンルが分からない。だが韓国人は気にしない。「うまければいい」それだけで押し切る。
実に雑だ。しかし、この雑さに、妙な生命力がある。
日本料理は完成形を固定しようとする。「この順番、この温度、この盛り付け、この美しさ」で食べてほしいという思想が強い。しかしムルフェは違う。時間とともに崩壊していく。味が変わる。温度が変わる。食感が混ざる。つまり、「完成品」を味わう料理ではなく、「崩れていく過程」を食べる料理なのである。

そして、この料理、日本にはほぼ存在しない。強いて言えば、海鮮丼、冷や汁、韓国冷麺、ちらし寿司、漁師飯を巨大なバケツに全部放り込み、「海を食え」と殴りつけてきたような料理だ。
雑。ひたすら雑。しかし、その雑さが、韓国東海岸の海そのものなのである。荒い。冷たい。辛い。臭い。混ざる。崩れる。そして最後に、「細かいことはいいから食え」で全部押し切ってくる。私は、この雑な迫力に、またしても完全敗北した。




