● 港へ向かう、第6ラウンド
5月4日の朝。例によって、少し早めのランチの時間がやってきた。今日の目的地は束草(속초=ソクチョ)の港、中央埠頭街(중앙부두길)である。「焼き」の聖地、88焼き魚(88생선구이)への第6ラウンドだ。これまでの5ラウンドは刺身や海鮮、生もの中心だった。しかし今日は違う。「焼き」である。炭火、煙、焦げ、脂。つまり、より「雑」の側へ寄っていく。
もっとも、ただ食べに行くわけではない。空腹感を極限まで増幅するために、ホテルから港まで15分歩く。食欲とは、結局のところ演出である。歩きながら胃袋に語りかける。「もうすぐだ。焼き魚の煙が待っている」と。

午前10時の港は、どんよりした曇り空の下、妙に静かだった。漁船が波のない内港に浮かび、水面には灰色の空が映り込んでいる。観光地の華やかさはない。少し湿って、少し古く、少し雑である。しかし、その雑さがたまらなく美しい。

ところが、88焼き魚の前へ着いた瞬間、その静けさは吹き飛んだ。すでに10組以上が並んでいる。月曜の午前10時台である。日本なら、まだ眠そうな顔でコンビニのおにぎりでも食べている時間帯だ。しかし韓国人たちは違う。すでに魚を焼き、飯をかき込み、店内は異様な熱気に包まれている。待つこと約20分。ようやく店内へ。扉を開けた瞬間、熱気、煙、魚の脂、焦げた匂いが一気に襲いかかってきた。私はこの瞬間、「ああ、今日は勝ちだ」と確信した。

● 朝10時の雑草モード
店内はほぼ満席だった。各テーブルの炭火グリルから白煙が立ち上り、人々のざわめきと笑い声が入り混じる。韓国語が飛び交い、店員の声が響き、鉄網の上では魚がじゅうじゅう音を立てている。食事のメカニズムから考えれば、朝ごはんでも昼食でもない。ブランチというには熱量が異常すぎる。空気は完全に「夜10時の酒場」である。これもまた韓国の「雑」なのだろう。

品書きなど最初から存在しない。人数分の魚が皿に盛られて、どん、と運ばれてくるだけだ。サバ、サンマ、赤魚、イカ、平たい魚。種類の説明もなければ、上品な演出もない。ただ、「食え」という圧力だけがある。アジョマ(おばさん)が各テーブルを巡回しながら、焼き具合を確認し、魚を返し、ハサミでざくざく切っていく。少々焦げても気にしない。網が汚れても気にしない。「まあいいじゃないか」という空気が店全体を支配している。しかし、この雑さが、妙にうまいのである。焦げ目の香ばしさ、魚の脂、炭火の煙。その全部が、整いすぎた料理では出てこない「野生」を作っている。

そして、その瞬間がやってきた。私は朝10時台から焼酎を呷り始めたのである。真露の瓶をテーブルに置き、ぐいっと流し込んだ瞬間、隣テーブルの韓国人たちの視線を感じた。
「こんな時間から飲むのかよ、雑な日本人だ」
そんな空気が、確かに漂っていた。実際、周囲の韓国人の多くは酒を飲んでいない。彼らは猛烈に魚を食っているだけである。そこへ、朝から焼酎を流し込んでいる日本人が現れたのだから、多少目立つのも当然だ。しかし、焼き魚に酒がない方がおかしいだろう。

この頃には、私の生理時計は完全に夜10時モードへ切り替わっていた。世界がぼんやり反転し、「ちゃんとした人間」でいる感覚が、少しずつ剥がれていく。
そして私は理解した。人間は、「純」であり続けることに疲れるのである。清潔、整然、正確、合理。もちろん重要だ。しかし、それだけでは窒息する。少し焦げる。少し崩れる。少し雑になる。そこに、人間は奇妙な解放感を覚える。「純」からの脱出。人間本来の「雑」の世界への帰還。私はこの瞬間、完全に雑草側へ寝返っていた。「雑」とは「自由」なのである。
● 雑草たちの港と雪岳山
食事を終え、11時過ぎに店を出る。すると、行列はさらに膨れ上がっていた。待ち時間はすでに1時間以上。列は100メートル近くまで伸びている。港の細い路地に、人、人、人。あの列の先頭に立っている人々も、これから「雑」の入口へ足を踏み入れるのだ。

雑な港、雑な食堂、雑な客、雑なスタッフ、雑な料理、そして、雑な私。その瞬間、雑もの同士の奇妙な連帯感が脳を満たしていく。承認欲求というより、「ああ、人間は本来こういう生き物だったな」という感覚に近い。整然とした高級レストランでは、この感覚は絶対に味わえない。ミシュランの星付き店には完成された秩序がある。しかし、ここには「生存」がある。雑とは、未完成さではない。生命力である。
夜に備えて、少し体を動かそうと思った。タクシーを拾い、雪岳山(설악산=ソラクサン)へ向かう。山の入口に立つと、巨大な楼門が迎えてくれた。先ほどまで魚の煙と焼酎にまみれていた脳に、山の冷たい空気が流れ込んでくる。緑が濃い。空気が静かだ。私は少し笑ってしまった。つい数時間前まで、「雑」の極点で焼酎を飲みながら魚をかじっていた人間が、今度は山で「純」を補給しているのである。

だが、人間とは案外そういう生き物なのだろう。雑だけでも疲れる。純だけでも息が詰まる。だから人間は、その間を行ったり来たりしながら生きている。軽く散歩を終え、ホテルへ戻る。そして昼寝。目が覚めれば、また夕方がやってくる。第7ラウンドが、静かに待っていた。




