韓国雑草の旅(8)~サムギョプサルという「雑な文明」

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● B級党の聖地、精肉店系大衆焼肉

 5月6日の夕方5時台、第10ラウンドが始まった。今日の舞台は精肉店系の大衆焼肉店、Sam’s Korean BBQ Restaurant(정사장네 갈매기)である。高級店でも観光客向けでもない、地元の人間が普段使いする類の店だ。巨大な排煙ダクト、雑なテーブルと椅子、肉の脂と煙が混ざった空気。実にいい。B級党の私にとって、これ以上ない最上の選択である。

 和食に比べると、韓国料理の特徴は明らかに「荒い」「雑」である。しかし考えてみれば、私自身の性格もかなり荒い。ならば相性が悪いはずがない。

 まず運ばれてきたのは、霜降りの牛肉と豚ハラミ系の肉だった。韓国焼肉店は「牛専門」「豚専門」ときっちり分かれていないことが多い。まず牛で景気づけし、その後に豚で本番へ入っていく。このあたりも妙に現実的だ。

霜降り牛肉と豚ハラミ

 主役はやはり豚である。続いて、厚切りのサムギョプサルが登場する。最近の韓国は、豚肉の「厚切り化」が極端に進んでいる。昔の薄い豚バラではない。もはや肉塊である。包丁で切るというより、鈍器に近い迫力だ。脂が落ち、炭火が弾け、煙が上がる。その光景だけで酒が進む。

 さらに後半、豚首肉が投入される。韓国人は豚の部位使いが細かい。首肉、頬肉、ハラミ、皮付き、骨付き。牛よりも、むしろ豚の方に異常な執念を感じる時すらある。これが実にうまい。

豚首肉

● サムギョプサルという「人間関係のインフラ」

 韓国に来ると、日本人はよく驚く。焼肉屋へ行っても、主役が牛ではない。豚である。しかも、かなり堂々と豚だ。サムギョプサル――豚バラ肉。韓国では「国民食」と言っていい存在である。

 日本人の感覚では、焼肉はどこか「特別な外食」であり、牛肉が主役だ。しかし韓国では、焼肉はもっと日常に近い。仕事帰り、友人同士、会社の会食、深夜飲み。あらゆる場面にサムギョプサルが入り込む。理由は単純である。安い。失敗しない。大人数に対応できる。酒に合う。満足感が強い。つまり、極めて合理的な料理なのである。

サムギョプサル

 韓国人はしばしば情熱的・感覚的な民族として語られる。しかし食文化を見ると、むしろかなり現実主義的であることが分かる。韓牛は確かにうまい。だが高い。日常化しづらい。そこで豚が主役になる。しかも、この「豚の焼肉文化」が韓国の酒文化と異常なほど噛み合っている。脂、炭火、塩、ニンニク、焼酎。この組み合わせは強い。

 特にサムギョプサルは、「料理」というより「場の装置」に近い。肉を焼く、切る、包む、配る、酒を注ぐ、会話が生まれる。沈黙していても成立する。つまり、単なる食事ではなく、人間関係のインフラとして機能しているのだ。だから韓国人は、困ったらサムギョプサルへ行く。日本で言えば、ラーメン屋と居酒屋と焼肉屋を全部足したような存在である。

● 厚切り肉塊と、韓国社会の熱量

 さらに面白いのは、近年の韓国では「厚切り化」が進んでいる点だ。昔の薄い豚バラではなく、まるで肉塊のような分厚いサムギョプサルが人気になっている。そこには単なる味覚以上のものがある。「肉を食っている感覚」である。

肉塊のような分厚いサムギョプサル

 韓国社会は競争が激しい。スピードも速い。人間関係の圧力も強い。受験、就職、出世、見栄、比較、消耗。常に熱量が高い。その中で、脂が滴る厚切り肉を炭火で焼き、焼酎で流し込む行為には、ある種のストレス解放装置としての意味すらある。

 韓国料理はしばしば「雑」と評される。しかし、その雑さは単なる未熟さではない。むしろ、「まず成立させる」という力技に近い。細かい理屈より、熱量で押し切るのである。サムギョプサルは単なる豚バラ肉ではない。韓国社会そのものの「熱量」が、あの鉄板の上で焼かれているのだ。そして何より、その荒さが、私には妙に合っている。

● 焼肉論争と、日本人の「比較病」

 この投稿をSNSへ上げると、例によって様々なコメントが寄せられた。

 「韓国料理店の高級店は何故かA5クラス和牛を焼肉で提供している。韓国産高級牛肉を扱う店を見たことがない。焼肉って本当に韓国伝統の料理なのか、戦後日本で始めた店というだけではないか」

 これはなかなか鋭い指摘である。焼肉の起源論は根深い。在日コリアンが戦後日本で広めたという説も有力で、「韓国伝統」と単純化するには留保が必要だろう。

 「豚はChinaからの伝統で、牛肉は外人向けホテルで消費され外貨を稼ぐものだったから庶民の口には入らなかった」というコメントも、歴史的文脈として興味深い。「豚肉が牛肉より主役になったのは狂牛病以後ではないか」という指摘も、2000年代初頭の韓国食文化を考えると一定の説得力がある。

 一方で、「日本の焼き肉の方が上だな」というコメントもあった。私はこう返した。「異なる文化に上下をつける人は、下だな」。別に喧嘩を売っているわけではない。本気でそう思っている。文化は、それぞれの歴史、経済、社会構造、人間関係の中で形成される。比較して優劣を決める話ではない。

 「何でもキムチ味にするのが苦手」というコメントもあった。「豚より牛が上という文化は関西色が強い」という地域差の話も面白い。約30年前のソウルで、砂入りホルモン鍋が出てきたという体験談には思わず笑ったが、同時に時代の変化も感じる。今の韓国の食環境は、衛生面でも品質面でも格段に整っている。

 だが、こうした雑多なコメント群そのものが、実に韓国的でもある気がした。焼肉一皿から、歴史論、文化論、衛生論、起源論、地域論争まで始まる。秩序立ってはいない。しかし妙に熱い。結局、サムギョプサルとは肉料理ではなく、「人間が集まって雑に語り合うための装置」なのかもしれない。

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