韓国雑草の旅(9)~アジョマの無表情、参鶏湯と「おもてなし」という感情労働

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● 参鶏湯と焼酎、矛盾の相殺取引

 5月7日、韓国滞在の最終日。午前11時、少し早めの昼として、第11ラウンドへ突入した。向かったのは、漢方薬膳の参鶏湯専門店、Hanbang Jeongtong Samgyetang(한방정통삼계탕)である。雑居ビル街の中にある、ごく普通の大衆店だが、昼前から客が次々に入ってくる。いかにも地元民に支持されている店という雰囲気だった。

 数日間にわたり、魚、焼肉、焼酎、ビールを延々と胃袋へ流し込んできた私は、そろそろ身体をいたわろうと考えた。そこで薬膳系の参鶏湯である。丸ごとの若鶏の腹に、高麗人参、もち米、なつめ、栗を詰め込み、長時間煮込む。韓国では典型的な滋養食だ。日本で言えば「胃腸を休める日」に近い位置づけなのだろう。

 しかし、気がつけばまた昼から焼酎を頼んでいた。参鶏湯+焼酎。「滋養しながら肝臓に負荷をかける」という、少々矛盾した組み合わせである。しかし、これが韓国では妙に自然に成立している。健康を気にしながら酒を飲む。身体を整えながら壊す。この微妙な矛盾を、韓国社会はあまり深刻に考えない。私はこういう雑さが嫌いではない。自己欺瞞などではない。相殺取引であり、トレードオフである。世の中は解釈で大体どうにかなる。

 運ばれてきた参鶏湯は実にうまかった。透き通った白濁スープからは、漢方の香りがほんのり漂う。鶏肉は箸を入れただけで崩れるほど柔らかく、もち米がスープを吸い込み、胃袋へ静かに染み込んでいく。連日の暴飲暴食で疲弊していた身体が、少しずつ修復されていく感覚すらあった。その横で焼酎を飲んでいるのだから、結局プラスなのかマイナスなのか分からない。しかし、そういう曖昧さごと許容するのが、韓国という国の面白さでもある。

● アジョマの無表情が照らし出すもの

 だが、食べながら、あることが気になっていた。アジョマたち――つまり、おばさんスタッフの接客である。別に乱暴でも不親切でもない。注文は取る。料理も運ぶ。片付けもする。必要なことは全部やっている。しかし、笑顔がない。愛想もない。挨拶もほぼない。ただただ、「業務」を処理しているだけである。

 日本人の感覚からすれば、「不愛想」と感じる人もいるだろう。「おもてなし」にはなっていない。しかし、私は途中から考え始めた。果たして問題なのは韓国側なのか。むしろ、日本の方が特殊なのではないか。

 日本では単にモノや機能だけではなく、「態度」まで商品化されている。笑顔、丁寧語、空気を読む、先回り配慮、謝罪、気遣い、クレーム耐性――これらは全部、感情労働である。つまり、日本のサービス業は「商品+感情」を売っている。しかし消費者側は、それを長年「無料付属品」として扱い続けてきた。ここが重要だ。

 例えば欧米では、「店員が無愛想でも仕事をしていれば問題ない」という感覚が比較的強い。一方、日本では「態度が悪い」こと自体が重大欠陥になる。つまり日本社会は、機能だけでなく、「感情的快適性」まで標準装備化してしまった。その結果、現場は疲弊する。

 サービス契約とは、本来は対等交換のはずだ。金を払い、商品・サービスを受ける。それだけの話である。しかし日本では、金を払った瞬間、一部の客が「人格支配権」まで得たように振る舞う。店員の態度を矯正し、感情を要求し、機嫌まで管理させようとする。これはサービスの購入ではない。半ば「感情支配」の購入である。

 だから最終的な搾取者は、ブラック企業だけではない。消費者側もまた、この構造に深く参加している。「おもてなし」の美名化は、もはや時代遅れだろう。もちろん良いサービス自体は悪くない。しかし、それは本来「追加価値」であり、「割増料金」の対象であるべきだ。

● 「便利」は誰の犠牲で成立しているのか

 世界標準で見れば、日本のコンビニ、宅配、飲食、鉄道サービスの水準は異常に高い。しかも価格は異常に安い。これは単なる効率化の奇跡ではない。かなりの部分、人間側が無理をして支えてきた構造である。

 便利とは、誰の犠牲で成立していたのか。日本人は、一度冷静に考えた方がいい。

 最近の「インバウンド礼賛」も、私は少し奇妙に見える。日本は「おもてなし」を旗印に海外観光客を呼び込んでいる。しかし実態を見れば、外国人観光客は円安だけでなく、日本人の極端に安い感情労働も同時に消費しに来ている側面がある。しかも、日本側はそれを誇らしげに宣伝している。

 誰も、この構造をまともに疑わない。外国人観光客が増えた結果、日本人の給料は上がったのか。現実は、夢のまた夢である。

 ソウルの参鶏湯専門店で、アジョマが無表情のまま土鍋を机へ置いた瞬間、私はそこまで考えていた。笑顔はなかった。だが、別に困りもしなかった。焼酎のグラスを空にしながら、私はむしろ、日本社会の方が「感情を要求しすぎる国」なのではないかと、静かに考えていた。

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