韓国雑草の旅(17)~なぜ旅行記が「日本国家論」に変わったのか

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● 旅行記のはずが、「日本国家論」になっていた

 今回の「韓国雑草の旅」シリーズについて、ある読者から印象的な感想をいただいた。最初は普通の旅行記として読んでいた。しかし途中から「韓国論」へ変わり、さらに後半になると、韓国を鏡として日本を映し出し、最後には「日本国家論」になっていた、と。まさにその通りである。

 「純」に整理された旅行記でも、「純」な国家論でもなく、漁港の潮風から戦後レジームまで一気に走り抜けた。雑草らしい、雑草にしか書けない「不純」で「雑」なシリーズだった

 最初から、単なる観光案内を書くつもりはなかった。市場の雑さ、漁港の荒さ、人間の距離感、韓国人の外へ出る力――そうした現地の空気を見ながら、次第に私自身の関心が、「なぜ彼らはこう動くのか」へ移っていった。そして最後には、「なぜ日本は動けなくなったのか」という問いへ辿り着いた。

 実は、こうした問題意識そのものは以前から持っていた。過去に出版した書籍や寄稿したコラムでも、一部それに近い内容を書こうとしたことがある。しかし当時、編集側から難色を示された。旅行や働き方の本やコラムとして入れるには重すぎる、国家論へ広がりすぎる、という判断である。

 当時の私は落胆した。しかし今は、そう判断した編集者を責める気にはなれない。商業出版には商業出版の論理がある。問題は、その論理が正しい場所と、そうでない場所を、書き手自身が見極めることだ。今回は自分のサイトだった。だから途中で止める必要がなかった。韓国論から日本論へ、さらに戦後日本論へ、思考が伸びる方向へ、そのまま書き切ることができた。

● 新大久保では書けなかった

 このシリーズを書いている間、「今は日本でも外国料理は食べられる」「外国人も大勢いる。だから無理に海外へ行く必要はない」というコメントも複数いただいた。しかし、私がこのシリーズで見ていたものは、韓国料理そのものではない。束草港の潮風であり、漁港の雑さであり、ソウル裏町の湿った雑踏であり、不純な人間臭さであり、社会や人間同士の圧力であり、「止まっていない社会」の空気そのものだった。

 異文化とは、料理や言語だけではない。その社会に流れている緊張感、競争、沈黙、欲望、葛藤、闘争、速度、その総体である。だから、このシリーズは、新大久保の街を歩いても書けなかっただろう。日本で韓国料理を食べ、日本で外国人を見るだけでは、その社会の重力までは見えてこない。

 旅とは、景色を見ることでもなければ、名所で記念写真を撮ることでもない。いわゆる観光資源の有無や多寡に関係ない。自分が立っている前提や軸そのものを、ずらされることである。韓国を見ていたつもりが、いつの間にか、日本を見ていた。読者から「韓国論ではなく、日本国家論になっていた」と言われた理由も、そこにある。

● 読者を増やす文章から、「残る読者」を選ぶ文章へ

 結果として、このシリーズは「読者フィルタリング」の機能を持ち始めた。単なる韓国観光やグルメを期待していた読者は、途中で離脱する。さらに、「嫌韓」という記号的同調の中で安心感を得たい読者も、後半になるにつれて嫌気を示し、離れていく。

 逆に、「なぜ日本人は動けなくなったのか」「なぜ韓国人は外へ出るのか」「なぜ日本は維持国家化したのか」といった構造問題に関心を持つ読者だけが、最後まで残る。つまり後半は、アクセス数を増やす文章ではなく、「誰が残るか」を選別する文章へ変化していったのである。

 私は、読者を増やすことを考えていない。執筆を業として、原稿料で食っているわけではない。執筆は経営に資する材料の仕入れと整理でありながら、その副産物をアップしているだけである。だから、万人に好かれることより、「最後まで読む人間が誰か」のほうが重要だと思うようになった。

 丁寧に手入れした花壇を好む人には、雑草は秩序の破壊者でしかない。除去の対象だ。雑草は、誰の庭にも生えない。残るべき場所にだけ、しぶとく根を張る。私は、「野火焼不尽、春風吹又生」の雑草である。

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