● 窓から見える三層構造
韓国雑草の旅の次は、出張でシンガポールへ来た。仕事の合間に、ここでも「雑草」の旅を楽しみたい。
宿泊先はブギス地区のアラブストリート。部屋の窓からは、金色のドームを抱えたサルタンモスクが見える。その背後には無機質な高層ビル群。さらに足元には、古い低層ショップハウスが押し込められるように並んでいる。三層が一枚の窓に収まる、この街の縮図だ。

シンガポールは、よく「成功国家」と呼ばれる。確かにその通りだ。治安は良い、交通は正確、都市は清潔、行政は高速、腐敗も少ない。東南アジアの多くの都市で見かける混乱や無秩序は、ここでは極限まで削ぎ落とされている。しかし同時に、この国には独特の「窒息感」がある。理由は単純だ。ここは、国家が強すぎる。
● 「余白」が都市の生命維持装置になる
もちろん、強い国家が得た利益も巨大だ。もしシンガポールが自由放任型の東南アジア国家だったなら、おそらく現在の国際金融センターとしての地位はない。国家が都市全体を巨大企業のように経営し、効率化し、統制したからこそ、今の成功がある。だが、その代償として、「余白」が極端に少ない。
だから面白いのは、ブギスやアラブストリート周辺なのである。ここだけは、まだ少しだけ秩序が崩れている。観光客、ムスリム商人、欧州系バックパッカー、デザイナー、小資本飲食店、半分趣味のような雑貨店。国家が完全には整理しきれなかったものが、細い路地に残っている。
私はこの界隈を歩きながら、むしろ安心した。マリーナベイ周辺は美しい。しかし、あまりにも完成されすぎている。あそこでは、人間よりも先にシステムが存在している。都市が「生きている」というより、「運営されている」のだ。

一方、この界隈には少しだけノイズがある。雑な改装、意味不明な店、潰れそうなカフェ、狭い通路、中東系の香辛料の匂い。英語、中国語、マレー語、アラビア語が混ざる空気。その「少しの乱れ」が、人間の呼吸になる。
● 雑草を嫌う国家が、雑草を必要とする逆説
私は韓国を「雑草国家」と書いてきた。生存圧の中で、人間が地面から直接生えてくるような社会である。韓国は、「下から雑草が吹き出す社会」だ。雑さ、競争、生存本能、そのエネルギーが下層から噴き上がってくる。
だがシンガポールはやや違う。ここは、本来、一見雑草を嫌い、高度な規格整備国家のように見える。しかし実際には、極端に雑草の生命力を必要とする国なのである。しかも、その規格は後進ではなく、先進側に合わせている。故に、雑草級の生命力がなければ、容赦なく排除されてしまう。
つまりシンガポールは、「上の規格が高すぎて、雑草級生命力がないと落ちる社会」なのだ。同じ雑草でも、韓国とは圧力の方向が違う。
シンガポールは徹底的に管理し、整え、効率化する。その結果、世界でも珍しいほど成功した。
しかし、人間社会は完全管理だけでは息苦しくなる。だから、このアラブストリート周辺の「半管理区域」が、逆に都市の生命維持装置になっている。面白いのは、そうした「少し崩れた空間」に、欧州人や中東系、外国人クリエイターが集まってくることだ。結局、人間は、完全秩序だけでは生きられないのである。
シンガポールは、国家としては非常に強い。しかし、人間が生きるには、少しだけ雑草が必要なのだ。
● ギリシャ料理という「西洋の雑草」
到着日は、現地常駐の日本人家族と一緒に、高級住宅地Dempseyにあるギリシャ・地中海レストラン「Blu Kouzina」へ向かった。マレーシアではあまり楽しめない地中海料理を、ここシンガポールで楽しむのも目的の一つだ。

熱帯植物に囲まれた外観は、ギリシャというより南洋的で、それ自体が混交の象徴だった。
ギリシャ料理は、西洋料理の中では珍しく「雑」の系譜に属する。フランス料理のように体系化された技法も、イタリア料理のような精緻な地域分類もない。地中海沿岸の食材を、わりと大雑把に焼いて、オリーブオイルをかけて、レモンを絞る。ムサカもスブラキも、洗練というより生命力で食わせる料理だ。
テーブルに並んだメゼ(前菜の盛り合わせ)を見ていると、フムス、タラモサラタ、ツァジキ、メリツァノサラタと、それぞれが地中海各地の「雑草」がごった混ぜになったような皿だと気づく。管理されすぎた優等生の料理ではない。だからこそ、管理されすぎたシンガポールの片隅で食べると、やけに美味い。

● 「日本だけが出られなくなる」構造
懇談の中で、一つの話題が出た。「最近、日本人観光客、本当に減ったよね」というものだ。
韓国について書いた際には、「不潔」「ぼったくり」「反日感情」などを理由にする声が大量に出てきた。しかし、ならばシンガポールはどう説明するのか。治安、清潔、英語、親日。日本人が安心して来られる条件は全て揃っている。にもかかわらず、日本人の存在感は昔より薄い。
現地側の感覚は非常に単純だった。「嫌シンガポールではない。日本人に海外旅行する金がなくなっただけだ」。
かなり本質を突いている。ホテル代、食事代、Grab代。思想ではない。レシートで現実を見る。シンガポールは、もはや「日本より少し下のアジア」ではない。むしろ、日本人に現実を突きつける側へ回った。
データも冷たい。日本人出国者数はコロナ前2019年の約2,000万人水準から大きく落ち込み、その後も回復が鈍い。一方、シンガポール全体の観光客数は2025年に約1,691万人まで回復している。つまり、「シンガポール人気低下」ではない。「日本人だけが海外へ出られなくなりつつある」という構造の方が実態に近い。
日本国内にいる限り、日本はまだ「安定した先進国」に見える。しかしシンガポールへ来ると、一枚ずつその錯覚が剥がれる。思想ではない。レシートが、国力を説明する。




