日本温室の旅(11)~AIは引き算の道具である、足し算社会・日本のAI敗北

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● 「働き方改革」ではなく「働かせ方改革」

 日本では長く「働き方改革」が語られてきた。残業を減らせ、有給を取れ、テレワークを導入せよ。しかし私は繰り返し言ってきた。本当の問題は「働き方」ではなく「働かせ方」だ、と。

 多くの企業に、不要な会議がある。意味の薄い報告書がある。重複した承認プロセスがある。過剰な調整と、空気を維持するためだけの業務がある。しかもそれを減らそうとすると、「誰かの役割」が消える。だから改革が止まる。要するに、問題は「コト」ではなく、「ヒト」に転換される。

 言い換えれば、これは生産性の問題ではない。共同体維持の問題だ。シリーズ(8)で論じた「問題提起者が加害者になる」構造と同じ回路が、ここでも作動している。不要業務を「不要だ」と言った人間が、「協調性がない」として処理される。AIが登場した時、日本企業はこの問題をさらに深刻な形で露呈した。

● 日本企業はAIを「足し算」で使う

 AIを導入した日本企業で、何が起きたか。既存業務の上に、AIツールをさらに追加した。会議の議事録を自動生成するAI。報告書のフォーマットを整えるAI。メールの文章を補完するAI。これらは便利だ。しかし本質的な問題には手をつけていない。日本企業はAIで、「引き算」ではなく「足し算」をしているのだ。

 本来、AIは「引き算」の道具である。不要な会議を消す。不要な報告を消す。不要な承認工程を消す。不要な確認を消す。「何をやめるか」を決めることで初めて、AIは生産性を劇的に引き上げる。つまり、AIはもともとやらなくていいことと、AI代行できることを洗い出すのである。

 ところが日本では、AIが入っても会議は消えない。報告書も消えない。承認フローも消えない。AIは既存業務の「効率化」に使われ、業務そのものの「消去」には使われない。結果として何が起きるか。

 不要業務が、以前より速く、大量に生成される。AIによって生産性が上がったはずが、処理すべき業務の総量が増える。会議の議事録が瞬時に生成されるから、会議の数が増える。報告書のフォーマットが自動化されるから、報告の頻度が上がる。AIで「足し算」をした結果、管理コストだけが膨張する。これを私は「不要業務の高速増殖」と呼んでいる。AIは悪くない。使い方が逆なのだ。

 経営学者ドラッカーはこう言った。「There is nothing so useless as doing efficiently that which should not be done at all」

 やらなくてもいいことを、やっている。しかも頑張って、効率よくやっている。これほど馬鹿馬鹿しいことはない。この一言が、日本の組織と社会そのものの写実になっている。日本の生産性が低い理由は、能力不足でも怠慢でもない。「やるべきでないことを、懸命にやっている」からだ。そしてAIは今、その懸命さをさらに加速している。こういう企業が多いのである。

● なぜ「引き算」ができないのか

 なぜ日本企業は引き算ができないのか。答えはシリーズ(10)で論じた構造と同じだ。業務を消すとは、誰かの役割を消すことだ。誰かの役割を消すとは、その人間の存在意義を削ることだ。日本型組織では、「役割」と「人間」が強く結びついている。だから業務削減は、人間否定として受け取られる

 さらに後述する構造だが、日本企業は単なる雇用の場ではなく、共同体そのものだ。共同体では、誰かを「不要」と判定することは、村八分に等しい。だから不要業務は温存される。AIはその上に乗せられる。

 日本社会は長く「頑張っている姿」を評価してきた。しかしAIは「頑張ったか」ではなく「その業務は必要か」を突きつける。ここが痛い。AIは人間を怠惰にしたのではない。日本型組織が抱えていた「働かせ方」の歪みを、可視化してしまったのだ。

● 中国企業は、構わず突っ込む

 一方、中国企業はどう動いているか。失業者が増えようが、既存職種が消えようが、構わずAIへ突っ込む。これが中国企業の現実だ。感情的な配慮より、競争力の確保が優先される。そのスピードと、日本企業の「共同体維持優先」との温度差は、すでに数年後の勝敗をかなり鮮明に描き始めている。

 誤解しないでほしいのは、中国式が「正しい」と言いたいわけではないことだ。雇用の急激な喪失は社会的コストを生む。しかし競争は、「正しさ」ではなく「強さ」で決まる。市場は感情を考慮しない。

 あるグローバル企業の人事担当者がこう語っていた。「日本チームはAIを使って丁寧な仕事をする。中国チームはAIを使って10倍の仕事をする。同じツールを持たせると、アウトプット量が全然違う」と。問題は技術ではない。AIを「何に使うか」という思想の差だ。それが競争の結果に大きな影響を与える。

● 商品市場と人材市場、両方で負ける

 このまま進むと、日本企業は二つの市場で同時に劣勢化する。

 一つ目は商品市場だ。AIによって労働生産性を劇的に引き上げた企業は、コストを削減し、価格競争力を強化する。品質が同等なら、最後に効くのは価格だ。綺麗事ではなく、これが市場の論理だ。

 二つ目は人材市場だ。一人当たり生産性が上がれば、一人当たり報酬も引き上げられる。高報酬企業には優秀人材が集中する。するとさらに生産性が上がる。この循環に入った企業と、共同体維持コストを抱えたままの企業では、時間が経つほど差が開く。

 しかもこの二つは連動する。商品市場での敗北は売上減少を生む。売上減少は報酬抑制につながる。報酬が低ければ優秀人材は出ていく。優秀人材が出れば、さらに商品競争力が落ちる。シリーズ(10)で論じた「活力層流出の循環」が、企業レベルでも同じ構造で回り始めている。

● AIは温室を破壊する外気である

 このシリーズを通じて見えてきた「温室」の本質は、「外気を遮断して内部を快適に保つシステム」だった。不要業務という名の温室、共同体維持という名の温室、「頑張る姿」評価という名の温室。AIは、その温室に穴を開ける外気だ。「この業務は本当に必要か」「このプロセスは価値を生んでいるか」「この会議は何のためにあるか」。AIはこれらの問いを、数字として突きつける。

 温室の中では、これらの問いは「空気を乱す」として抑制されてきた。しかしAIという外気は、空気を読まない。数字は感情を考慮しない。コストは「頑張った」かどうかを問わない。だから日本企業でAIが進みにくい最大の理由は、技術ではない。「業務消滅を正面から認めること」への心理的抵抗だ。問題はAI導入論ではない。共同体防衛論だ。

 最後に明確に言っておく。日本企業はAIに負けるのではない。AIを使って「働かせ方」を根本から再設計した企業群に負けるのだ。その企業群の多くは今、中国、韓国、シンガポール、インドにある。彼らは引き算から始めた。不要を消し、必要を残し、AIで増幅させた。

 日本企業はAIを足し算で使い続ける限り、生産性は上がらず、管理コストだけが膨張し、市場から静かに押し出されていく。誰も強制しない。誰も責めない。ただ、AIを本気で使い始めた企業に、気づいた時には追いつけないほど差をつけられているだけだ。

 AIは引き算の道具だ。しかし引き算を恐れる社会では、AIは不要業務の高速増殖装置になる。

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