「覗き」と叫んだ男の敗北、見えてしまった中国依存構造

 本当に脱中国したいなら、生活コスト上昇を受け入れる覚悟があるのか。

 「そんな中国だから油断禁物だ。日本は備えを十分にすべきだ」。SNS上で、ある人物Y氏がそう書き込んだ。よくある主張である。よくある感情である。そして多くの場合、その先の具体論は存在しない。

 しかし続きがある。

 Y氏自身の公開Facebookの写真を用いて、「あなたの日常生活そのものが、中国サプライチェーンの上に成立していませんか」と指摘されると、Y氏は突然こう返した。「覗き趣味もありますか」「下品」「民度が低い」。なるほど。では整理しよう。

● 「覗き」が成立した場合のさらなる不都合

 覗きとは何か。この言葉が成立するには、最低でも二つの条件が必要だ。

 第一に、本人が見られたくないと思っていること。
 第二に、本人が物理的・設定的に隠していること。

 しかしY氏は、Facebookに投稿された写真・記事をPublic(公開)設定で運用していた。つまり第二条件は、最初から崩れている。公開とは「世界中に見せる」という意思表示である。それ以上でも、それ以下でもない。

 では第一条件はどうか。ここが面白い。Y氏が見せたかったのは、おそらく「優雅な北海道旅行」「サッポロクラシック片手の日本的日常」「普通の豊かな生活」という自己像だったはずだ。それ自体は問題ない。誰でもやる。

 ところが、その写真から別の読み方が抽出された。

 スマートフォン。液晶パネル。カメラ部品。充電池。ホテル設備。厨房機器。照明。通信インフラ。POSシステム。衣類繊維。食器。物流。現代の日本人の日常空間は、ほぼ全面的に中国製造圏と毛細血管のように接続している。

 「日本製」と書かれた缶ビールですら、その缶材、製造設備、電子制御、物流ネットワーク、化学原料のどこかで中国と繋がっている可能性が高い。これは親中論ではない。単純な構造認識だ。

 だから指摘された内容は、「非公開情報を盗まれた」のでは全くない。Y氏自身が気づいていなかった矛盾を、他者に先に言語化されたのである。これは不快だろう。非常に不快だろう。しかしそれは「覗き」ではない。鏡を突き付けられた不快感である。

● 論点移動という敗北宣言

 本来、論理的に返すなら方法はあった。

 「依存度は限定的だ」「代替可能性がある」「安全保障のためにはコスト増を受け入れる」「脱中国は長期的に必要で現に進めている」。しかし実際に選ばれた言葉は「下品」「民度」「覗き」だった。構造論から感情論への逃走である。少なくとも、その論点に答えられない状態であることは、自ら示してしまった。議論の土俵を、自分で壊したのだ。

 しかし一つだけ認めよう。Y氏は「覗かれた」と感じた。その感情自体は、おそらく本物だ。ただ、原因の診断が間違っていた。不快感の正体は、プライバシー侵害ではなく、自己像と現実の乖離を可視化された衝撃である。

● 「備え」はスローガンではなく、覚悟である

 だが、より重要なのはここからだ。これはY氏個人の問題ではない。日本社会全体が、同じ矛盾の中にいる。「中国は危険だ」「反日国家だ」「備えが必要だ」と言いながら、安価EC、低価格家電、高速物流、安価日用品、コスト競争力のある部材、その全てに依存している。反中感情と中国依存生活が、堂々と同時並行している。

 そして「備え」という言葉の軽さも問題だ。本当の備えとは、生活コスト上昇の受容、国内回帰コストの負担、低成長・生活水準低下の受け入れまで含む。スローガンではなく、覚悟である。しかし多くの人は、「敵だ」「危険だ」「備えよ」という気持ちの良い言葉のところで止まる。感情処理としては快適だからだ。

 Y氏の事例が際立っているのは、その矛盾を、自分で投稿した日常写真によって可視化してしまった点にある。

 見せたかったのは「優雅な北海道」だった。
 見えてしまったのは「中国依存構造」だった。

 そして怒ったのは「覗かれた」からではなく、自ら曝け出した事実のもう一面が見えてしまったからだった。構造分析とは、そういうものだ。鏡に映った自分を「盗撮だ」と叫んでも、像は消えない。

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