● 8割の機能は使われない、8割の商品は不要だ
独立系の国際IT調査会社スタンディッシュ・グループの調査によれば、プロダクトに備わる機能の約80%がほとんど使われないという。これはITプロダクトに限らない。電化製品も、自動車も、同じだ。
私自身、製品の説明書を読むのが嫌いだ。時間コストと機能の利便性を天秤にかけ、インターネット、スマホ、AIという三つの技術革命だけを「本物の革命」として受け入れてきた。ハードウェアは長期償却で使い、iPhoneは中古しか買わない。ワード一本に絞り込み、エクセルもパワーポイントもほとんど使わない。メルセデスベンツを10年以上運転しているが、ボタンやスイッチの半分以上が何のためのものか分からないままだ。
現代のマーケット全体を見て、基幹機能次元で言えば、8割の機能だけでなく、8割の商品も不要だ。しかしそのコストをカットして基本機能だけを集約した製品を半額で売ってくれないかという願いは、現代資本主義の「原則」に反するので、叶うことはない。現代資本主義の本質は、過剰開発、過剰製造、過剰販売、過剰購入、過剰廃棄にある。
● 横展開・縦展開・異次元展開という三位一体の消費設計
消費者から消費を引き出すための設計は、三つの方向で行われている。
第一は「横展開」だ。同類商品の種類を増やす。サラダのドレッシングを例にとろう。かつては塩とオリーブオイルだけだったものが、いつの間にかフレンチ、イタリアン、和風、ごま風味、シーザー、タルタルと種類が増え続ける。スーパーのドレッシングコーナーの前で、どれを選べばいいか迷う。これが設計の目的だ。「選択の自由が増えた」という洗脳が同時に行われている。
第二は「縦展開」だ。同じ商品の世代を更新し続ける。私は2026年現在中古のiPhone 7Sをいまだに使っているが、iPhone 4以降に画期的・革命的な進化があったとは感じない。しかし人前で古い機体を出すには「少々勇気が要る」。この心理を作り出すことに成功した瞬間、縦展開は機能している。10年で何回買い替え、いくら投入したか計算してみるといい。
第三は「異次元展開」だ。実用機能を超えた付加価値・ブランド消費だ。フランスの哲学者ボードリヤールはこう言った。「商品は『記号』として消費されている」と。自分が所属する、または所属したい集団の記号として消費する。欧州系ブランド品の主たる顧客は、人からの見られ方、虚栄心、自己満足に価値を置く中所得者層だ。実用性ではなく、情緒パフォーマンスへの対価を払わせる。
この三位一体が、量と質の両面で消費を際限なく拡大し続ける。「選択肢が多いことは善だ」という価値観が、この設計の見えない防護壁になっている。
● マイホーム神話と記号消費の完成
記号消費の最も巨大な例が、マイホームだ。「いつかは自分の家を」。この欲求は自然だ。しかしマイホームが「人並みの暮らし」という記号になった瞬間、性質が変わる。記号を持たないと「落ちこぼれ」に見える。だから同期が家を買えば、自分も買わなければという圧力が生まれる。無理してでも買う。一生ローンを背負う。
これは戦後日本社会における最大のマーケティング成功事例だ。デベロッパーと銀行は、この心理構造を活用して、代々永久的に消費搾取を続けられる仕組みを作った。労働者はローン返済のために一生働く。日本型終身雇用と住宅ローンが組み合わさった時、「会社を辞められない」構造が完成する。シリーズ(18)で論じた賃金カーブの拘束に、住宅ローンという第二の拘束が加わる。
タワーマンションも同じ構造だ。タワマンに住む=エリート・成功者という記号が作られると、収入の高い人たちが無理して高額物件に住む。年収がどんなに高くても、住宅やステータス確認のための高額消費によって、大した資産も作れないまま消費搾取される。
記号消費には内向型と外向型がある。内向型は自分に言い聞かせ、自己確信させるための消費だ。外向型は他人に見せ、情報やメッセージを伝達するための消費だ。どちらも「自分がどう見られるか」という他者視点から来ている。温室コマは、共同体の中での「見られ方」に極めて敏感だ。だから記号消費に取り込まれやすい。
● 「労働→消費→労働」という永久運動
消費が増えれば、働かざるを得ない。働けばまた消費する。「労働→消費→労働」という永久運動が完成する。
搾取は、歴史的に進化してきた。奴隷制度の強制労働から、貧困による準強制労働を経て、今は「自発的強制労働」の時代だ。人間の感情、欲望、欲求を搔き立て、自ら差し出して主体的に搾取される。強制されているように見えず、自発的参加に見える。「もっと稼ぎたい」「もっといいものを買いたい」という欲望が、構造の自己再生エネルギーになる。
この構造の恐ろしさは、誰かが悪意で設計したわけではない点だ。横展開・縦展開・異次元展開は、各企業が競争の中で合理的に採用してきた戦略の集積だ。しかし個々の合理的行動の総和が、「消費から抜け出せない社会」という全体的な非合理を生んでいる。
今の資本主義社会では、「選択肢が多い」ことを善としている。しかし、「選択のコスト」を無視している。選択肢が増えるほど、人間は比較・検討・決断に時間とエネルギーを消耗する。その消耗が、さらに「癒し消費」「ご褒美消費」を呼ぶ。消費は自己再生産する。
● 温室コマと消費の親和性
温室コマは、なぜ消費に取り込まれやすいのか。
第一に、年収信仰との組み合わせだ。シリーズ(21)で論じた通り、年収を追うことで時間とエネルギーを仕事に投入し続ける。するとストレスが蓄積する。そのストレス発散に、消費が機能する。「頑張った自分へのご褒美」という言語が与えられ、消費が正当化される。
第二に、共同体への同調圧力だ。温室コマは共同体の中での「見られ方」に敏感だ。同期が買えば自分も買う。部署の飲み会に参加する。季節のイベント消費に乗り遅れると「空気が読めない」と見られる。クリスマス、バレンタイン、ハロウィン。日本人に本来関係のない西洋の祭りが消費イベントとして定着したのは、記号消費と同調圧力の組み合わせによるものだ。
第三に、資産形成の発想がないことだ。(21)で論じた通り、金融教育が「貯金せよ」止まりで、資産形成の概念が育っていない。だから余った金は消費に回る。消費は目に見えるが、資産形成は見えにくい。温室コマは、見えるものへ反応しやすい。
こうして消費という麻薬が、温室依存を経済的に固定する。消費するために働き、働くために消費する。その循環の中で、資本は形成されない。温室の壁は、外から作られるだけでなく、消費という内側の力によっても維持されているのだ。
豊かさを感じられないのは、豊かになっていないからではない。温室の中で、豊かになる前に消費しているからだ。





