弁護士が弁護士にならない理由、マレーシア華人の資格観と活用法

 マレーシア中華総商会で企業経営者と話していると、意外なことに気づく。弁護士資格を持っている人が少なくない。しかし、その多くは法律事務所ではなく、自ら会社を経営し、投資を行い、事業を拡大している。

 日本人から見れば、不思議に映るかもしれない。「せっかく弁護士資格を取ったのに、なぜ弁護士にならないのか」と。しかし、彼らの発想は逆である。弁護士資格は目的ではない。商売を有利に進めるための武器なのである。

 会社を経営すれば、契約書を読む。海外企業と交渉する。紛争も起きる。法律を理解していれば、自分でリスクを判断できる。外部弁護士に依頼するとしても、相手の助言を評価する能力がある。

 つまり、法律は「売る商品」ではなく、「経営能力」の一部なのである。ある意味で、弁護士資格は「頭の良い商売人」である証明、それだけで十分だ。一方、弁護士業は時間を売る仕事でもある。一日二十四時間という制約から逃れられない。しかし、事業経営なら、人、資本、ブランド、販売網を使って利益を拡大できる。商売人にとってはこちらのほうが魅力的に映る。

 ここには、日本との大きな違いがある。日本では、資格を取ると、その資格に対応する職業へ進むのが自然と考えられている。弁護士は弁護士、会計士は会計士という発想である。しかし、華人社会では、資格は職業を決めるものではない。自分の市場価値を高めるための一つの資産である。

 資格に人生を合わせるのではない。人生に合わせて資格を使う。日本では資格が「肩書」になるが、華人社会では資格は「道具」にすぎない。だから彼らは、弁護士資格を持ちながら、迷うことなく経営者や投資家の道を選ぶのである。

 資格を最大限に活用しているのであって、資格を捨てたわけではない。むしろ、資格に縛られないからこそ、その価値を最大化しているのである。

 しかし、この話には続きがある。この投稿に寄せられたコメントを読んでいて、私は日本人に特有の思考パターンを改めて実感した。それは、一つの自己体験を、そのまま一般論へ拡大してしまう癖である。次回「日本人にありがちな論法、帰納法にもなっていない個別事例の化」は、この「自己体験の拡大化」について考えてみたい。

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