なぜ、どちらかを選ばなければならないのか――華人ネットワークから外れる日本

<前回>

● 見える景色が変わってきた

 東南アジア各国の中華総商会との付き合いが深まるにつれ、私に見える景色も変わってきた。

 華人企業が各国の経済で大きな役割を担っていることは、よく知られている。しかし、実際にそのネットワークのなかへ入ってみると、見えてくるのは華人経済だけではない。企業と政府との関係、各国政治への影響力、中国との人的・経済的な接続、ASEAN域内を横断する資本、物流、情報の流れが、互いに分離できないほど結び付いている。

バンコク訪問中、タイ中華総商会の林楚欽主席と

 政治が経済を統制しているように見えても、長期的には経済が政治の選択肢を規定する。投資、雇用、税収、サプライチェーンを握る企業群を無視して、政治だけが理念で走ることはできない。

 民主主義対権威主義、自由対独裁という価値観の対立も、損益計算書の前では優先順位を下げる。こうした付き合いのなかで感じるのは、中国を中心としてASEAN各国へ広がる華人ネットワークが、アジア経済の将来を握りつつあることである。そして、そのネットワークのなかに、日本の姿がほとんど見えない。

● Why should we pick a side?

 先日会った、あるアジア企業の経営者との会話で、印象に残った一言がある。米中対立の話になったとき、彼は「Why should we pick a side?」と言った。なぜ、どちらかを選ばなければならないのか。

 実に経営者らしい。中国から利益を得られるなら中国と付き合い、米国から利益を得られるなら米国とも付き合う。両方から利益を得られるのに、わざわざ一方を敵に回し、自分の市場、資金、技術、取引先を半分に減らす必要はない。親中か、親米か。そもそも、その二択を受け入れる理由がないのである。

 ところが日本の言論空間は、この二択の罠に簡単にはまる。中国を評価すれば「親中」、中国を批判すれば「愛国者」または「親米」、中国製品の競争力を認めれば「中国寄り」や「売国奴」、米国の政策を批判すれば、今度は別の陣営へ分類される。事実や利益を検討する前に、まず発言者の所属陣営を確定し、その陣営に応じて発言の意味を決める。まず敵味方を決め、その後から事実を配置する。方法だけを見れば、中国の文化大革命とよく似ている。

 その経営者は逆だった。まず自分の利益を見て、利益に応じて相手を選ぶ。そこで私は、「しかし、どうしても片方しか選べないとしたら」と、少し意地悪な質問をした。回答は速かった。「China」。第一選択は中国でも米国でもなく、「選ばない」である。しかし、その選択肢を私が潰し、二者択一を強制すると、中国を選んだ。

タイ中華総商会にて

● どうしても選べと言われたら

 これは彼一人の特殊な感覚ではない。ISEASユソフ・イシャク研究所による2026年の東南アジア調査では、ASEANが米中いずれか一方を選ぶべきだとした回答は、わずか6.3%だった。ところが、「どうしても選べ」と強制すると、中国が52%、米国が48%となり、中国がわずかに上回った。

 私とその経営者との会話を、東南アジアの有識者へ広げたような結果である。通常の選択は、政治的陣営としては「どちらも選ばない」、経済的取引相手としては「どちらも選ぶ」である

 子供が「パパとママのどちらが好きか」と聞かれれば、「どちらも好き」と答える。どちらか一方を選ばされるのは、両親が離婚し、「パパとママのどちらについていくか」と迫られたときだけである。

 米中が離婚するのは勝手だが、ASEANには両方と付き合う利益がある。それを認めず、親権争いのように二者択一を強制したとき、初めて中国が52%、米国が48%となる。これはASEANが中国だけを選びたいという結果ではない。両親の離婚に巻き込まれ、どうしても一方についていけと言われた子供が、わずかな差で中国を選んだという結果である。

 そこに中国への忠誠や共産主義への共感を読み込む必要はない。中国は地理的に近く、巨大な市場を持ち、貿易、投資、物流、製造、観光、人的ネットワークを通じてASEANの日常経済へ深く組み込まれている。米国が安全保障や金融で大きな力を持っていても、企業が毎日作成する損益計算書では、中国との取引がより直接的に現れる。思想信条の告白ではない。最後まで損得計算なのである。

 華人ネットワークの強さも、民族的な団結や中国への忠誠だけで説明するべきではない。中国語、人脈、商習慣、親族・同郷関係が取引コストを下げ、中国企業、ASEAN企業、各国政府を接続する経済インフラとして機能しているから強いのである。企業が投資し、雇用を作り、税金を払い、物流と小売を支えれば、政治もその企業を無視できなくなる。

 華人資本が政治へ一方的に浸透したというより、経済的な必要が政治を引き寄せる。政治家が華人ネットワークを利用し、華人企業も政治を利用する。善悪ではなく、相互利益によって接続されている。

● 語られない台湾

 中華総商会の人々と接するなかで、もう一つ興味深く感じることがある。台湾との商業ネットワークは確実につながっている。台湾企業は現地華人企業と取引し、資本、部品、技術、人材、物流を通じて、中国本土企業とも同じ市場のなかで動いている。ところが、表の場だけでなく、商会内部の会話でも、「台湾」という話題そのものが忌避されているように見える。

 台湾との関係が弱いから語られないのではない。むしろ、実務上は十分に深く接続されているため、政治的な名称を持ち込む必要がないのである。台湾企業とは会社名、商品名、技術、投資案件として付き合えばよい。しかし、それを「台湾との関係」として語った瞬間、通常の商取引が統一・独立、一つの中国、親中・親台という政治的立場の表明へ変わる。取引には利益があるが、「台湾」を語ることには利益がなく、余計な政治コストだけが生じる。

 中華総商会の内部には、中国本土との関係を重視する企業、台湾企業と取引する企業、現地国家への帰属を重視する華人、両岸の双方に事業を持つ企業が同居している。「台湾」を議題にすれば、誰かが立場を示さなければならない。しかし、立場を示しても売上は増えず、取引先を失う可能性だけが増える。そこで政治的な言語を封印し、商売だけを通す。政治は一つの主語にまとめようとするが、商売は個々の会社、商品、契約、送金へ分解する。

 これは「Why should we pick a side?」の、さらに深い実例である。米中のどちらかを選ばないだけではない。中国か台湾かという問いそのものを商談の外へ追い出し、双方との取引を残す。台湾問題を解決したのではなく、利益を生まない問いとして棚上げしているのである。政治的には語らず、経済的にはつながる。名前を口にすれば立場を問われるが、会社名と商品名で取引すれば利益になる。政治は海峡を分けるが、商売は請求書と送金で渡っていく。

 信頼できる調査は見当たらないが、もし東南アジアの華人企業経営者に「台湾統一か台湾独立か」と二者択一を迫れば、おそらく平和統一が大きく上回るだろう。

 ただし、彼らの本当の第一選択は、統一でも独立でもない。中国とも台湾とも商売を続けられる現状維持である。統一を語れば台湾との取引に摩擦が生じ、独立を語れば中国との取引に摩擦が生じる。どちらを選んでも売上は増えないため、政治的な答えを出すより、利益を生まない質問そのものを会話から消しておく。沈黙は意見の欠如ではなく、両方との取引を残すための経営判断なのである。

● 蚊帳の外、日本はなぜ沈黙を選ばないのか

 では、なぜ日本は同じように沈黙を選ばず、わざわざ米中のどちらか一方を選びたがるのだろうか。

 理由の一つは、日本にとって「陣営を選ぶこと」自体が利益になっているからである。戦後日本は、安全保障を米国へ大きく依存し、自らを西側、自由主義、民主主義の一員として位置付けてきた。米国側に立ち、中国へ「毅然」とした態度を示すことは、安全保障上の忠誠表明であると同時に、「われわれは中国とは違う」という自己確認にもなる。東南アジアの経営者が取引による経済的利益を求めるのに対し、日本の言論空間では、陣営への帰属による政治的・心理的利益が取引利益に先行するのである。

 もう一つは、利益を得る者とコストを負担する者が異なることである。政治家や言論人は、中国へ強硬な言葉を投げれば、愛国者として支持、拍手、票、視聴率を得られる。その利益は即座に本人へ入るが、中国との取引縮小、原材料価格の上昇、観光収入の減少、サプライチェーンの分断といった費用は、後から企業、消費者、納税者へ広く請求される。沈黙しても政治家には拍手が入らないが、「毅然」と叫べば政治的利益が入る。そこで、日本全体には不利益でも、発言者個人には合理的な選択となる。

 その結果、日本は中国か米国かという二択を自ら受け入れ、中国を評価することまで政治的な忠誠問題へ変えてしまう。日本企業が利益を求めて中国と取引すれば「依存」、中国製品の競争力を認めれば「敗北」、中国との協業を提案すれば「媚中」と呼ばれる。その間に、ASEANの華人企業は、中国から技術、資本、人材、商品を取り込み、米国からも金融、技術、市場を取り込み、台湾とも政治的な名称を避けながら実務的につながり、それらを自分たちの利益へ変えている。彼らは陣営に参加するのではなく、バリューチェーンを作っている。

 日本は米中のどちらが正しいかを論じ、ASEANの経営者は米中台のそれぞれから何を取れるかを考える。この差が続けば、アジアの事業ネットワークは日本を経由せずに完成し、日本は誰かに排除されたわけでもないまま、結果として蚊帳の外に置かれる

 中国に「毅然」と立ち向かい、わざわざ喧嘩を売る必要はどこにあるのだろうか。もちろん、利益を侵害されれば対抗すればよい。しかし、まだ請求書も届いていないうちから拳を振り上げ、自分で市場を閉じる必要はない。

 東南アジアの経営者は、まず利益を計算し、必要な相手を残すために口を閉じる。日本では、まず口を開いて敵を決め、請求書だけを企業と国民へ回す。日本人には、ずいぶん血の気が多い。しかも、流すつもりなのは自分の血ではなく、支払うつもりなのは自分の金でもない。

<次回>

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