● 企業訪問に行ったはずが、宴会場は宮殿だった
2026年8月25日、マレーシア中華総商会のタイ訪問団は、バンコクのCPグループ(正大集団)本部を訪問した。タニン・チャラワノン(謝国民)会長兼CEOをはじめとする同グループ主要経営幹部との会見に続き、謝会長主催の昼食会が開かれた。
企業本社での昼食会、と聞けば、普通は役員食堂か、せいぜい会議室に毛の生えた程度のものを想像する。しかし、CPグループ本部ビルの中には、そんな想像を軽く裏切る宴会場がある。宮殿のような設えで、中央には20人ほどが一度に座れる特大の円卓が鎮座している。中国・北京で国宴に使われるような巨大円卓を、そのまま企業本社の中へ持ち込んだような光景である。

給仕するウェーターは、全員がビシッと黒服で固めている。それだけではない。途中でトイレへ立つと、案内係がつく。一人目が宴会場から送り出し、途中で二人目へ引き継ぎ、さらに三人目が待ち受け、最後はトイレの扉まで開けてくれる。私はただ用を足しに行くだけなのだが、三人のリレーによって目的地まで護送される。ここまで来ると、「接待」というより一つの儀式である。
● 広東点心から「佛跳牆」へ
そして料理が始まった。最初に出てきたのは「点心拼盘」、点心三点盛り合わせである。ここにはタイ風のアレンジはほとんど感じられない。まずは本格的な広東風点心から始まった。
そして次に出てきたのが、「佛跳牆(仏跳牆、フォーティャオチャン)」である。福建料理を代表する最高級料理の一つで、鮑、海参、干貝、魚介、鶏、豚など多数の山海の珍味を長時間かけて煨る料理である。福州の名店・聚春園で発展した料理として知られ、その製法は2008年に中国の国家級無形文化遺産にも登録されている。
名前がまたすごい。「壇を開ければ肉の香りが四方に漂い、仏でさえ戒律を捨てて塀を飛び越えて食べに来る」という故事から「佛跳牆」と呼ばれるようになったと伝えられている。つまり、「坊さんまで塀を飛び越えて食べに来る料理」である。
しかも、単に古い名物料理というだけではない。1980年代には北京の国宴にも採用され、従来の大きな壇から取り分ける方式ではなく、一人分ずつ供する宴席スタイルへ改良されたという記録も残っている。

この日、私の前に置かれた佛跳牆も、一人ずつ白い器で供された。ところが、一口飲んでみると、私が知っている中華料理の佛跳牆とは少し違う。スープは透明な上湯ではなく、やや濁りがあり、そこから上品なココナツの香りが漂ってくる。佛跳牆という福建料理の最高峰を、そのまま再現するのではなく、タイの風土と味覚を取り込んでいる。まさに「タイ風佛跳牆」である。
考えてみれば、これは料理だけの話ではないのかもしれない。中国南部から渡ってきた華人は、故郷の文化を抱えたままタイへ入り、そこでタイ社会に適応し、タイの文化を取り込み、やがて巨大な経済力を持つまでになった。福建料理の佛跳牆にココナツの香りが溶け込んでいる姿は、どこかタイ華人そのものに見える。
中国料理を捨ててタイ料理になったのではない。中国料理を守ってタイ料理を拒絶したのでもない。佛跳牆は佛跳牆のまま、そこへココナツの香りが入る。そして、それが実にうまい。もしかすると、この一杯こそ、成功したタイ華人の象徴なのかもしれない。
● 中華なのか、タイなのか
佛跳牆の後に並んだ三品も、よく見ると面白い。
まず、写真右下の「鮮椰青肉冬陰大蝦」。大ぶりの海老を使ったトムヤムで、酸味、辛味、ハーブの香りにココナツのまろやかさが加わる。器こそ中華宴席風だが、料理そのものはほぼ本格的なタイ料理である。大海老を惜しげもなく使うところだけが、いかにも宴会料理らしい。
写真左下は「泰式蛋香咖喱蚧肉」。蟹肉を卵とカレーで炒めた、プーパッポンカリー系の一品である。ふんわりした卵が蟹肉とカレーを包み、濃厚だが辛さ一辺倒ではない。これも料理の出自をたどれば、ほぼタイ料理といってよい。中華宴席の円卓に載っているが、味覚の中心は明らかにタイにある。

そして写真上が「泰式東坡肉」。ここで少し様子が変わる。東坡肉は本来、中国浙江省杭州を代表する料理で、北宋の文人・蘇東坡にちなむとされる豚肉の煮込みである。豚バラ肉を醤油、酒、砂糖などでじっくり煮込み、脂身まで柔らかく仕上げる。中国料理としての出自は明白である。
ところが、CPグループの円卓に出てきたのは、わざわざ「東坡肉」ではなく「泰式東坡肉」と書かれている。見た目も杭州の東坡肉そのものではない。大きな肉塊に濃いソースをまとわせ、青菜を添え、白飯のおかずとして実によく合う味に仕立てられている。中国料理をタイで忠実に保存したというより、中国料理がタイの日常的な味覚へ入り込み、現地化した料理なのである。
ここまで来ると、「タイ式中華」とは何なのか、という問いが出てくる。
中国料理とタイ料理を半分ずつ混ぜることではないのだろう。中国から持ってきた料理を博物館の展示物のように原形保存することでもない。中国由来の料理、調理法、宴席文化を残しながら、タイの食材、香辛料、ココナツ、食べ方、味覚を取り込み、何世代もかけて境界そのものを曖昧にしていく。どこまでが中華で、どこからがタイなのか、もはや切り分ける意味がなくなる。
考えてみれば、タイ華人の歴史もよく似ている。中国人がタイに住んでいる、というだけではない。タイ社会へ深く入り込み、タイ語を話し、タイ名を持ち、タイの政治、経済、社会の一部になりながら、華人的な家族観、商業文化、人脈、食文化もどこかに残っている。中国かタイかという二者択一ではなく、中国から持ってきたものをタイという環境の中で作り替え、その結果として別の強さを獲得した。
だから、「泰式東坡肉」は微妙なのである。中華料理なのか、タイ料理なのか。その問いに、きれいな答えが出ない。その曖昧さこそが、タイ華人の適応の歴史をよく表しているのかもしれない。佛跳牆は佛跳牆のまま、ココナツの香りをまとった。東坡肉は東坡肉の名を残したまま、白飯によく合うタイの味になった。
そして最後のデザートは、「泰国椰浆湯圓」。湯圓はもち米の粉で作った団子を甘い汁で食べる中国の伝統的なデザートだが、ここでもココナツミルクを使ったタイ仕立てになっている。コースは本格的な広東風点心から始まり、タイ風の佛跳牆、本格タイ料理、泰式東坡肉を経て、最後は中国の湯圓をタイのココナツミルクでいただく。円卓の上を一周してみれば、中華とタイが交互に現れ、混ざり、最後にはどこまでが中華で、どこからがタイなのか分からなくなっている。
人間も企業も、原形を守ったから生き残ったのではない。原形を完全に捨てたから成功したのでもない。芯を残しながら、環境に合わせて姿を変えたのである。

● 酒なしの「国宴」
もっとも、これは昼食である。アルコールは一切なし。これほど豪華な料理を前に、全員が水やお茶で淡々と食べる。佛跳牆から始まり、大海老、蟹、肉料理と続く。それでも酒は一滴も出ない。企業訪問の「昼食」という言葉から私が想像していたものと、ずいぶん違った。さすが食の大国タイ。そして、さすが華人企業である。もっとも、この日はまだ昼である。夜はこれからだった。
<次回>
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