「会社を大きくしよう」の非常識化、「規模の不経済」時代の人生戦略

 「会社を大きくしよう」。多くの日本人経営者にとって、これが一種の善あるいは常識として定着している。多くの日本人サラリーマンも自分の所属会社が「大きくなった」ことを誇りに思って胸を張ったことだろう。しかし、ある日、それが自分がリストラされる原因だと告げられたらどう思うのだろうか。

 「規模の不経済」とは、「規模の経済」の対極で、規模の拡大によってかえって収益が低下することをいう。戦後の日本には、戦略なき努力で結実する時代があった。(「戦略なき」は「戦略不全」をも含む)

 会社は戦略なき拡大さえすれば、成長した。社員も戦略なき努力さえすれば、身分やある程度の財産構築が保障された。戦略なき企業と戦略なき従業員が集合体となり、価値は戦略によって導かれる結果よりも努力を求められる過程に置かれるようになった。

 時代が変わった。経済の成長、市場総量の増大が止まった。競争が激化した。物が売れなくなった時代では、「規模の経済」が「規模の不経済」に転落するケースが続出する。「拡大」という「過程」や「努力」に慣れてきた日本企業も日本人も急に「戦略」と言われても戸惑ってしまう。これが今日の日本だ。

 「規模の不経済」時代、正確にいうと「規模の不経済」の負の効果が顕現化する時代。このような時代における企業戦略や施策は、別途顧客向けレポートに書くことにして、ここでは省略する。

 では、企業という組織の構成員である社員には何を求められるかというと、それも「戦略」にほかならない。戦略なき努力によって報われないことも多々ある、これが今の時代だ。この現実の善悪を過度に語り、批判する価値を、私は見出すことができない。

 人生の戦略的思考とは、会社に依存しないことを前提とする。どんな大きな船でも沈む可能性がある。船の舵やエンジンが壊れたり氷山に衝突して沈むかもしれないし、乗客が多すぎて沈むこともあろう。船が沈まないように、一部の乗客が海に放り出されるかもしれない。船を非難するよりも、荒海でのサバイバル、あるいは漂着した無人島でのサバイバルを考えた方が建設的だ。

 人生そのものが航海である。海の向こうに幸せな天国島が存在するのだろうか。そこまで船が運んでくれるのだろうか。だから、船や船長への期待を捨てよう(やらないこと)、救命胴衣や救命ボート、非常食、無人島で一生を過ごす準備くらいは自力で整えておこう(やること)。これが人生の戦略だ。
 

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コメント: 「会社を大きくしよう」の非常識化、「規模の不経済」時代の人生戦略

  1. 「生存競争(弱肉強食)がどんな制度化でも存在し、民主主義は欠陥がありながらも、最善なき次善として選ばれている」とのことは理解しました。

    お尋ねしたいのは、(立花先生がお考えの)民主主義が実現すべき目標は何であるかということです。

  2. 質問です。
    立花先生は、弱肉強食という現実を度々主張される一方で、民主主義の強力な支持者であることを表明されています。

    弱肉強食は歴史的な現実である一方、民主主義は各人の自由と平等を実現するものであり、両者の概念は相反するもののように思われます。

    端的に言えば、弱肉強食を否定できない現実として受け入れてしまえば、民主主義は必要なく、無政府であれ、王権政府であれ、封建政府でも良いことになります。

    立花先生の頭脳やお気持ちの中では、現実世界はどこまで弱肉強食であるべきであり、どこまで民主主義的であるべきなのでしょうか?お考えをお聞かせ頂ければありがたく存じます。

    1.  この問題はすでに何回も繰り返しています。生存競争はどんな制度下でも生まれます。自然界の摂理でもあります。民主主義は欠陥があっても最善なき次善として選ばれている。それだけの話。世界それ自体が不公平だらけです。今日の記事も言及がありますので、この議論はこれで終了とします。

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