「和僑」とは何か?海外起業日本人全員か「和僑会」会員だけか

<前回>

 「和僑」とは何か。香港和僑会のウェブサイトで「和僑の定義」がなされている。まず目に付くのは、これ――。

 「和僑は、自分たちが住む地域・都市・国家に対して、尊敬の念と、誇りを常に抱いている」

 これはおかしくないか。「尊重」と「尊敬」を間違えていないか。「尊重」はマナー、「尊敬」は思想や信条。「在住国に対する尊敬と誇りを持て」というのは、思想や価値観、良心の自由の制約ではないか。いささか宗教的な教義に近い。これは、「和僑」という一般概念に当てはめ、勝手に定義されても多くの在外日本人はさぞかし困惑するだろう。

 どうしてもその辺に触れるなら、アイデンティティ的にも、「和僑」といえば祖国日本に対する感情を先行すべきではないだろうか。もちろん、日本国籍を放棄し、外国に帰化した人は別格なのかもしれないが・・・。

 そこで、「華僑」はどうかと、在日「華僑総会」を調べてみた。意外にも「和僑会」のような思想信条的な要件はまったく課されていない。会の対象はあくまでも広義的、物理的な「華僑」身分者であることが分かる。横浜華僑総会だけが次のように設立目的を掲げている――。

 「華僑の正当な利益を擁護し、愛国団結、中華文化の継承と弘揚を増進し、経済文化のレベルを高め、中日友好を推し進める」

 ごもっともな目的である。海外に住む華僑に、「自国を愛する、自国文化の継承と弘揚」を呼び掛け、あくまでも会の目的としており、「在日華僑は、日本や居住都市に対して、尊敬の念と、誇りを常に抱いている」などを会員に対して要求していない。

 「華僑会」と比較して、「和僑会」はいかに「和僑」に対しイデオロギー的な定義付けしていることが分かる。ここからは問題の本質。「華僑」とは、自然的身分の定義であり、その人の思想や信条の如何に一切関係がない。「和僑」とは、このように「華僑」と同一定義なのか、それとも、「和僑会」の会員に特定した名称なのか。

 前者であれば、つまり「華僑」のように「和僑」が広義的在外日本人を網羅するのであれば、大きな問題になる。その定義からいかなるイデオロギーの成分をもただちに排除すべきである。

 後者であれば、特定の組織である「和僑会」の会員身分に限った用語であれば、それはその会の定義や条件であり外部の第三者にどうのこうの言われる筋合はない。イデオロギーだろうと何だろうと入会者が納得すればそれでよい。

 ただ、後者でありながらも前者に誤認されることは深刻な問題だ。一部のメディアは、「和僑」を「海外で起業する日本人のこと」として括っていることを見て大きな違和感を覚える。そうであれば、和僑会自体が「和僑」定義が会員名称であることを外部にはっきりと声明し、メディアによる不規範な記載にも進んで訂正を求めるべきだろう。

 私自身も海外で起業した日本人であるが、いかなる思想や信条、良心の自由に対する制約、イデオロギーをも受け入れるつもりはない。

<とりあえず、最終回>

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コメント: 「和僑」とは何か?海外起業日本人全員か「和僑会」会員だけか

  1. 華僑に思想信条的な要件やイデオロギー的な定義付けがないか?

    これはどうなのでしょう。数年前に見た中国のドラマでヨーロッパの国に出稼ぎに行かされた少女の成長物語を描いたものがあり、その中で、独立してレストランを開店するに当たって地元の有力な華僑団体(幇?)が出資を募るシーンがありました。それを見る限り、華僑に思想的な条件やイデオロギー的な定義がないとはとても思われず、思想的にも行動的にも強力なルールに縛られているように見えました。

    立花先生がおっしゃるように華僑において、明示的な定義づけがないとするならば、それが意味するものは、思想的、イデオロギーな定義づけや縛りが存在しないのではなく、あまりにも明白で絶対的であるがゆえに、却って定義づけする必要がないのではない可能性が高いのかと思われます。

    あくまでドラマの中でのことなので、フィクションですが、中国人がイメージする華僑グループ(狭義で言えば結社や幇?)というものはそういうものではないのでしょうか?

    1. 海江田さん、おっしゃる通りです。華僑組織にはイデオロギーが存在すると思います。内容的にはだいぶ香港和僑会とは違うでしょうが。そのイデオロギーに合意せず組織に入らない華僑もいれば、大陸系華僑や台湾系華僑、異なるイデオロギーをもつ華僑も存在する。ただ、「華僑」という定義は、広範的身分的なステータスに留まり、特定のイデオロギーへの統一を求めていない。だから、「和僑」とは普遍性ある名称なのか、それとも特定の会の会員名称なのかという疑問に答えを求めたくなる。どちらでしょうか。

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