帰らないことが最善、金子光晴はなぜ放浪の旅から帰れないか?
S. Tachibana
<前回> 「そのバトパハ河にそい、ムアにわたる渡船場のまえの日本人クラブの三階に私は、旅装をとき、しばらく逗留することになった。ゴム園にゆくにも、鉄山を訪ねるにも、ここは重要な足がかりである。山から…
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コロナになぜ強いか?南洋華人の「騎楼経営学」
S. Tachibana
<前回> 「漆喰の軒廊のある家々でつづいている。森や海からの風は、自由自在にこの街を吹きぬけてゆき(く)……」。金子光晴がバトゥパハの町並みをこう描写している。 「軒廊(カキルマ)」という言葉に馴…
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バトゥパハの街、朝日を浴びる妙齢の美女と現代観光業
S. Tachibana
<前回> 「バトパハの街には、まず密林から放たれたこころの明るさがあった。井桁にぬけた街すじの、袋小路も由緒もないこの新開の街は、赤甍と、漆喰の軒廊のある家々でつづいている。森や海からの風は、自由自…
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金子光晴の日本料理店構想、美食の都パリで成功するのか?
S. Tachibana
<前回> 私は文学に興味が薄い。詩や小説たる読み物は全く手にしない砂漠の駱駝だ。故に、詩人金子光晴のこともほとんど知らない。バトゥパハにやってきて、「詩人の足跡を追う」類の美辞麗句で如何に飾っても、…
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金子光晴ゆかりの街、センチメントなきセピア色の旅
S. Tachibana
<前回> 9月4日(金)、ジョホール州のバトゥパハ(Batu Pahat)へ車で移動。1泊という短い滞在だが、詩人金子光晴の足跡を追うセピア色の旅である。 バトゥパハ旧日本人クラブ(1925年建造)…
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状況急変、オーナーからかかってきた1本の電話
S. Tachibana
<前回> ライダーズ・ロッジ滞在3日目。朝食の席につくや、ホテルのスタッフが電話を抱えて走ってきた。「当ホテルのオーナーから、立花様に電話が入っている」と。 シンガポール在住のオーナーとは面識がな…
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▶【立花レビュー】2020.09.05~<マレーシア雑談>金子光晴が見たセピア色のマレー物語
S. Tachibana
日本の詩人金子光晴の足跡を辿って戦前のノスタルジックな街ジョホール州のバトゥパハを訪ねる。「セピア色の物語」と題しても、決して文学的な取材ではない。経営コンサルタントの目線で金子の人物像や社会・経済…
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インバウンド受難時代、深い闇に出口の光が見えず
S. Tachibana
<前回> ライダーズ・ロッジに3泊。宿泊客は立花家の1組だけという貸切宿泊になった。この小さな乗馬リゾートのメイン顧客層は、シンガポールからやってくる休暇客だった。乗馬を楽しみ週末の休暇を過ごすには…
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乗馬しない理由いろいろ、厩舎見学だけでも楽しい
S. Tachibana
<前回> ライダーズ・ロッジは乗馬を売りにしたリゾート。滞在中にフェイスブックに「乗馬を楽しんでいるか」という質問がきたが、答えは「NO」。私は馬に乗っていない。 最大の理由の1つは、私の体重。乗…
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