世界一の不幸者は、不幸の原因を他者に転嫁する者

 採用面接って面白い。

 立花 「あなたは、前職を辞めた理由は?」
 応募者 「学べるものがないし、雑務ばっかりやらされるし、チャンスにも恵まれませんでした」
 立花 「なるほど。では、当社に応募する理由は?」
 応募者 「新しい分野に挑戦し、学んでいきたい」
 私 「当社も雑務をやってもらいますよ。『学べるものがない』の繰り返しだけじゃないですか。チャンスもなければ、また次の会社を探すんですか?」
 応募者 「???」

 雑務とか何か、雑務に学べるものはないだろうか。上等な仕事ができない人間に限って、雑務を馬鹿にするのだ。学び方すら知らない人間に限って、学べるものがないと馬鹿をいうのだ。チャンスがすぐにそばに転がっていても見えない人間に限って、チャンスに恵まれないと愚痴をこぼすのだ。

 学歴もなく、貧困のどん底で雑務的な仕事を見つけて、辛うじて糊口を凌ぎながら、最底辺の仕事に学び、地獄から這い上がる人たち、もっとも不運な人たちに限って、自らチャンスを作り出し、自ら世界を切り開くのだ。

 人間はある程度、その器が決まって生まれてきたのかもしれない。だが、その器をまったく改造できないわけではない。後天的に、何らかのきっかけで物事の学び方を悟った時点で、チャンスが続々と訪れてくる。チャンスを拒むことなどできないのだ。

 一方では、不運や失敗、不幸の原因を他者に転嫁する人間は、どこにいっても失敗する。世の中一番の不幸者は、不幸の原因を他者に転嫁する人間。

 他者がたとえいくら悪者だとしても、他者をいくら罵ったとしても、自分の境遇は果たしてそれで改善されるのだろうか。ちっとも役に立たない。愚痴や罵りで一時的な慰めを得られたとしても、麻薬のように一瞬にしてその快楽が去ってしまうものだ。

 来る日も来る日も、その繰り返し。世の中、不運や不幸を感じる人間が大半だ。それが公平か、それとも不公平?神様に聞くが良い。

台湾FB友の会開催、9/29(金)台北・狸炉端焼にて

 来週は上海と台北へ臨時出張。

 台北では、「立花聡・台湾FB友の会」を少人数で開催決定。歓迎参加!立花までメール、またはFBメッセンジャーでお申込みください。

 <日時> 9月29日(金)18:30
 <場所> 狸炉端焼
 <住所> 台北市中山區林森北路133巷5號(八條通) TEL: 02-2531-2827)
 <ご案内> なお、自由参加の二次会も予定しています。

 久しぶりの台湾、楽しみにしている。

KLへ業務機能の集約統合、法順守と経営合理化

 中国で、Yahooもダメになったか。検索できなくなった。当社上海事務所からも報告された。

 サイバーセキュリティ法の実施によって、VPNへの規制も一層強化された。8月1日に、米アップルが中国の「アップストア」からVPNアプリを削除する決定を発表し、同社のティム・クックCEOは、「われわれとしても、できればアプリの削除はしたくない。しかし、他国同様、われわれは自分たちが事業を展開している国の法律に従わなければならない」との立場を表明した。

 当社のような調べ物の多い企業では、正直、仕事にならない。ただ、クック氏が述べた通り、どんな法律であれ、所在国の法律に従うことは企業コンプライアンスの基本である。したがって、当社の場合、一部の業務機能の海外移出はおそらく避けられない。

 中国での人件費の上昇や適材リクルートの困難も相まって、事情が複雑に絡んでいる。全体的に中国やベトナム、アジア業務の統合管理という経営戦略上の観点もあり、当社のクアラルンプール事務所にはこれから本格的に、中国・アジア統括事務所機能を付与すべく、ロードマップの作成に取り組む、とする方針を確定したい。

 激変の時代である。

資本主義が生んだ共産主義、権力と闘う破廉恥

 マルクスは、資本家であるエンゲルスの協力をなくして、共産主義が生まれたのだろうか。換言すれば、共産主義は資本家が労働者階級から搾取した剰余価値を元に生まれたということになる。

 今の日本を見ても類似の現象が見られる。民主主義の甘い汁を吸い、独裁による恐怖や自由喪失の危険をなくして、「権力と闘う」と豪語する破廉恥は、見るに耐え難いものだ。

 「権力と闘う」には、まず権力の独裁による恐怖と闘って、勝たなければならない。そして権力と闘っていくための自由を確保すべく、まず「権力と闘う」など公然と唱えることはしないのだ。

 本気で独裁たる権力と闘うというなら、平壌にも北京にも乗り込んで広場で叫んでみるがよい。永田町で「権力と闘う」と叫ぶほど馬鹿なこと、世の中にあるのか。無知と破廉恥、それ以外の何物でもない。

 無知から生まれた無恥は、無知よりはるかに醜悪である。

犬同伴勤務の日々

 私の事務室には、愛犬のハチが時々ドアを叩き、入ってくる。同伴勤務が日常的な風景である。

 「仕事場に犬がいると生産性が向上し、連帯感が生まれる」というアメリカの調査があるが、それを理由にするかどうか別として、仕事の合間にコーヒーを飲みながら犬との対話を楽しみ、休憩とするのが私の流儀だ。

 仕事をし出すと、彼は静かに昼寝を始めてくれる。顧客との電話会議となれば、退室してもらうこともあるが、そのまま室内にとどまっても決して吠えたりはしない。

 というような毎日である。

日本人相手の海外投資業者、理性的関係と進化

 海外で、日本人相手のいわゆる金融投資や不動産投資仲介業者はたくさんある。その会社の創業者や経営者にまつわる武勇伝よりも、その顧客がいかに投資で儲かったか、あるいは失敗したかという実話や事例に興味がある。残念ながら、それはあまり聞かない。

 いまの日本は大変だ。年金が減額される。将来的になくなるかもしれない。だから、自助努力で自己年金を作らないと危ない。ここまでは誰もが納得する正論。ただここからが微妙になってくる。どこそこの国の何とか案件が有望だとか。それはまだしも正論としよう。では、リスクとは何か?投資失敗した場合の最悪シナリオとは何か?

 という話になると、突然黙り込む。「おい、営業妨害だ」と、時には怒り出す。私はライバルではないし、営業妨害しても得はしない。そういっているのは、もうちょっと理性的な営業をしたほうが逆にライバルとの差別化ができるのではないかということだ。

 顧客も同じく理性的になってほしい。まずは、うまい話ばっかり聞こうとしないこと。次にリスクと聞いただけで引いてしまうのも馬鹿馬鹿しい。リスクとリターンの関係をよく吟味し、評価し、その金融商品が自分に適合するかどうかを、主体的に判断する。

 業者と顧客の間に理性的な関係ができあがると、互いに進歩し、進化する。

今日の中国は、明日のベトナム

 ベトナムの人件費コスト上昇が止まらない。さらに、労働者を過剰保護する労働法制に起因する解雇難や、労働生産性の停滞といった負の要因と相まって、企業管理面の課題は山積。

 財務・労務・法務面において、唯一の解決策といえば、私が考案した「3階建人事制度」しかない、と自信をもって断言する。

 「今日の中国は、明日のベトナム」

 中国で60社に上る日系上場企業の導入実績で証明された「3階建人事制度」の威力は、ベトナムにおいても発揮されるべく、すでに在越日系企業における導入が始まった。

 6月のホーチミン・セミナーに続き、10月9日(月)午後、ハノイの日航ホテルで「3階建人事制度セミナー(ベトナム版)」を行う。「3階建人事制度」とはどのようなものか、なぜ必要か、それがどのように機能するか、その全貌とメカニズムを徹底解説する。

<予定主要内容>

● ベトナム経営現場の三大課題のメカニズム
  1. 賃上げと人件費コスト上昇の課題
  2. 無期限労働契約・終身雇用の課題
  3. 企業労働法務・人事労務制度の課題

● 「3階建人事制度」のメカニズム
  1. 制度の基本構造と概要
  2. 三大課題を如何に解決するか
  3. 現行制度の変更・新制度導入の諸課題

 是非、在越日系企業経営者の皆様のご参加をお待ちしております。

近い将来の労働市場、HAV形態で私も餓死するか

 10年後の労働市場を考え、未来図を描いてみると、職種は大きく3つに分類されるだろう――。

 1つ目は、「H職」。Human being、生身の人間でしかできない仕事。

 2つ目は、「A職」。AI、人工知能が代替し、機能する仕事。

 3つ目は、「V職」。Value maker、価値創出型の仕事。A職であっても、人工知能でできない付加価値を上乗せしたり、あるはA職とH職の交差混合で、人間が独自の付加価値を上乗せしたりする場面がこれに該当する。

 ただし、流動的だ。H職もV職も、動態的につねにA職の勢力拡大と浸食の恐れに怯えながら、独自価値の創出に日夜奮闘しなければならない。「安定」という言葉は、死を意味する。

 このような「HAV」形態の労働市場は、そう遠くない将来に出現するだろう。過酷な市場だが、いままで機会をもたない者に、大きな機会が訪れる時代でもある。

 ここまでいったら、じゃ、立花、お前の人事コンサルの仕事は将来どうなるんだ、という質問は出るだろう。

 それは消滅する可能性もかなりあると思う。だって、企業の雇用が縮小し、外注主力に傾いた時点で、人事労務の管理業務も大幅縮小する。

 さらに人事労務管理も、人工知能によって取って代わられる可能性も十分ある。すべての関連要素を入力した時点で、AIが最善の人事管理制度をアウトプットする。

 私の仕事は、人工知能のアウトプットのあら探しになる。それができなければ、私は餓死する。ただ、私がどんなに苦労して見付けたあらでも、それが入力された時点で、二度と出て来ないようにあらが修正される。

 このようないたちごっこが繰り返し、私(人間)の知力や体力の限界に達した時点で、私は無残にクライアントにクビを切られる。

 というのが人工知能の時代だ。Welcome to the New Era!

氷山か氷塊?ボンビーガールのマレーシア移住話

 8月29日に日本のTV番組「ボンビーガール、マレーシア移住特集」が放送されてから、私が発起人で主宰している「マレーシア移住の会」には新規参加者が急増している。
 
 「・・・(マレーシアは)物価が安いし、家賃3万円程でゴージャスなアパートに住めるし、なんか日本に住んでいるのがばかばかしくなる」「ボンビーガールを観てていつも考えているけど、本当にバンコクとかマレーシアに就職してバブリーな生活をするのもいい。考えてみようかな」

 ネットを検索したら、こういうブログ投稿もあったりする。いや、TVの宣伝効果はやはり大きい。ベトナム在住の友人は、「あれはストーリーありきの該当者募集です。少なくともベトナムの放送分は、放送後ベトナムで働きたいという問い合わせは人材紹介会社で増えたそうです」と、教えてくれた。

 まあ、人材紹介会社はだいぶ番組のおかげで商売が舞い込んだだろう。

 ベトナム編もマレーシア編も、私は直接に番組を観たわけではないので(観るつもりもない)、断定的なコメントを控えたいが、番組が取り上げた話は、やらせや作り話でない限り、真実であることは間違いないだろう。

 ただ、その真実は、氷山の一角なのか、それとも単たる氷塊の一粒かが問題だ。どれだけ代表性があるかということだ。言い換えれば、大方の人が番組に取り上げられたような事案をそのまま追体験できるか、あるいは番組事例の複製の可能性、それがどのくらいあるかということだ。

 特に海外番組の場合、現地コーディネーターのスタンスが番組の出来に決定的な役割を果たしていることも珍しくない。そこで彼らの情報ソースや知見、ないし利害関係が絡んでくると、番組の色も随分変わってきたりする。

 随分昔、私も日本のメディアの海外取材の協力で現地コーディネーターを引き受けたことがあった。現地のことについて取材クルーは基本的に何も知らない。現地コーディネーターの言いなりだった。

 こういう番組の裏事情を知った上で、番組を眺めていると、視聴者もずいぶん変わるだろう。メディアは信用できないとかいう人もいるが、「信じる」「信じない」というよりも、「懐疑」をもつことが大切だ。私の書いたこの記事にも、是非懐疑の目をもって接してほしい。

 情報氾濫の時代だ。情報そのものの価値が相対的に低下している。そのかわりに、情報の選択と処理がますます重要になる。自分自身にとってその情報は何を意味するか、その情報がもたらす潜在的リスクとは何か、そしてそこからどのような価値を生み出せるのか、この一連の論理的な思考作業が後続の結果に決定的な効用を果たす。

 情報は、諸刃の剣だ。

「みんな一緒」でなくなる日、階級社会の到来

 日本の問題。タブーを恐れずに言ってしまえば、階級社会を受け入れるかどうかの問題だ。

 格差社会の定着と正当化は、階級社会の形成なのだ。スラムの出現も容認すると。日本人は「みんな一緒」でなくなることだ。それを拒否した場合、「みんな一緒」に衰退していくのみだ。

 この話はタブーなので、政治家は死んでもいえない。「全員引き上げる」ような政治は、いまの日本ではもう無理。何党がやっても一緒。

 政治家を責めてもしかたない。彼たちは民意で糧を得る職業なのだから、民の耳が痛いことを言わないし、言えない。マスコミを責めてもしかたない。彼たちは民の妬みやルサンチマンで糧を得る職業なのだから、すべて政治が悪いと煽って食いつなぐ。

 他者を責めても、現実は何も変わらない。日本社会は、「承認欲求」「同調圧力」の塊。8割以上は洗脳された犠牲者、生きる本能すら喪失しつつある。この現実は変わらない。故に、幸せになりたければ、頼れるのは自分だけだ。現実を罵っても現実は変わらない。変える可能性があるのは、自分だけだ。

 ただ現状は厳しい。日本人の多くは本能的に心底から「みんな一緒」を求めている。農耕社会のDNA的な伝承も非難されるべきではない。格差社会や階級社会よりも、むしろ「均等貧困社会」のほうが受け入れられやすい。現にいまはそれが求められている。

 致命的なのは、資本と資源の流出。

 昔、マルクスの時代なら、資本家階級をプロレタリアートが一致団結して叩けたのだった。工場や財産を根こそぎ取り上げられた。いまはできないだろう。地球はフラットだ。資本の流出はじわじわと進む。パソコンのリターンキー1つでお金が動く時代だからだ。

 もっと怖いのが、資源(リソース)の流出だ。特に人的資源。MBAを取った友人がこう嘆く――。「日本人でMBAなんか取るのが自殺行為だ。多大な投資をしてもリターンはほとんどない。教室のなかで教わったもの何1つ、日本型組織のなかでは役に立たない。いや、睨みつけられるだけ。出世の邪魔すらなり得る」。結局、友人も活路を求めて海外へ出て行った。

 「みんな一緒」。競争を嫌う性質は、もはや現今の世界では、規格外だ。かといって、では日本は欧米並みの競争社会になったらどうだろうといえば、それはまさに日本でなくなる。自己喪失の危機と自己衰退の危機、この二項対立の解消にどのような答えが用意されているのか、私には分からない。

 私はこよなく日本を愛している。でも、なぜ日本に帰らないかというと、日本をずっと愛し続けたいからだ。富士山は登るよりも、遠くから眺めた方が美しい。一種の逃避行でもあるが・・・。

Satoshi Tachibana Official Blog