一期一会の原風景、幸福と感謝は旅の道連れ

<前回>

 原風景――。白川郷の合掌造り集落を語る上で必ず出てくる言葉。いかにも日本的で、大多数の日本人の心に描かれた最大公約数的な、日本人の心の原風景といえるだろう。

 人の心の奥にある原初の風景が郷愁を誘う。人生を通じて、懐かしく思い出し、そして老後に至ってこのような原風景を求め続けるのだろう。

77677_2幻想的な原風景

 だが、いまの日本では、このような原風景はもはやテーマパーク化し、保護された文化財として鑑賞用に供されている。合掌造りの建物に住んで、田んぼ仕事をしたいといっても無茶な話だ。すると、原風景は多くの人にとって脱日常的な風景、一種空想上の風景、心象風景的な存在になりつつある。

 寂しい限りだ。殺伐とした現代の世界では、人が経済の果実を求めてはあまり多くの喪失を強いられているのである。生活が豊かになっても、貧困のどん底に陥っても、原風景は常にセピア色を帯びたセンチメンタル物語である。

77677_3原風景いろいろ

 「ここの観光は、40分ほどで切り上げましょう。これで、ちょうど時間通りに小松空港に到着できます」。ハイヤーの運転手が親切にリマインドをかけてくれた。

 原風景の妄想に浸っていた私が、現実の世界に連れ戻される。夕方5時過ぎ小松発羽田行きの便に乗るため、そろそろ原風景にお別れを告げなければならない。

 ふと涙が出た。この一生、この合掌造りをもう一回見ることがあるのだろうか。彼――あっ、なぜか建物のことを人間のように思えたのだった――、これからも元気でいてくれるのだろうか。一期一会、二度と会うことがないかもしれない。これが最後なんだと思い、一緒にいるこの数分の時間をただただ大切にしようと一生懸命になる。心が幸福と感謝で満たされ、涙が止まらなくなった。

77677_4雪中案内してくれたびゅうハイヤー金沢の川嶋さんに感謝。

 私は今日も、もう一つの原風景を手に入れた。この宝を心の奥にしまって誰にも持っていかれることがない。ずーっとずっと死ぬときまで。そして、死を目前にして、一生かけてため込んだ沢山の原風景を一つ一つ眼前に浮かべながら、静かに旅立つのだろう。これだけ幸せな人生を送り、これだけ幸せな死に方ができたら何も悔いが残らない。

 ありがとう、白川郷。さよなら・・・

<終わり>