還る場所、共に在る時間――ハナ、庭に眠る
S. Tachibana
<前回> 2025年6月27日(金)。七七日(四十九日)を迎えた今日、ハナの納骨式を執り行った。場所は、ハナが生前こよなく愛した我が家の庭である。緑に囲まれ、小鳥のさえずりに包まれるこの場所は、ハナ…
続きを読む
続きを読む
太陽、筋肉、水――生命を起こす朝の儀式
S. Tachibana
友人には、「働くな、休んで遊んだらいい」と勧められている。私にとって、働かないことは、死ぬより辛いので、それができない。だが、働くことのリズム調整ならそう難しくない。 まず、朝は完全に自然目覚め。…
続きを読む
続きを読む
土曜日のさらなる活用、祈祷時間・宗教的多様性に対応するRRF制度
S. Tachibana
<前回> 宗教的多様性に対応する柔軟労働制度――Respect Religion Flex-time(RRF)の提案。 マレーシアは多民族・多宗教国家であり、企業活動においても宗教的配慮は不可欠な…
続きを読む
続きを読む
ハナを偲ぶ(6)~哲学はなぜ孤独か、共感されない痛みの理由
S. Tachibana
<前回> 「言葉にならないもの」と共にあることの孤独。 喪失の痛みは、往々にして言語を拒絶する。それは、言葉にすればするほど遠ざかっていく実感であり、説明すればするほど陳腐化する現象である。だから…
続きを読む
続きを読む
ハナを偲ぶ(5)~癒されることの責任、「受益者」の犬搾取に抗うために
S. Tachibana
<前回> 「癒される」。ペットを飼う人々の共感である。 癒しは、決して否定されるべきものではない。苦しみや痛みを抱えた者が、動物の存在によって慰められ、救われるという現象は、まぎれもなく現実に存在…
続きを読む
続きを読む
ハナを偲ぶ(4)~しつけ教室という服従装置と人間の自己満足
S. Tachibana
<前回> 「よく躾けられた犬ですね」。その言葉は、ほめ言葉であると同時に、支配の達成を告げる宣言でもある。人間が動物を含む他者を「望ましい姿」に矯正し、従わせるという構造。それは、教育、育児、訓練と…
続きを読む
続きを読む
ハナを偲ぶ(3)~涙の向こうへ、共感から省察へ
S. Tachibana
<前回> 「泣けました」という言葉を何度かいただいた。私の文章を読んで、涙が出たという。素直に嬉しく思う。悲しみや別れの描写が、誰かの心に触れ、感情の奥を震わせたのであれば、それは書き手にとって確か…
続きを読む
続きを読む
ハナを偲ぶ(2)~ハナ 沈黙を連れてくる、選別の始まり
S. Tachibana
<前回> 2025年5月、ハナが旅立った数日後、Facebookのダッシュボードに異変が起きた。再生数が跳ね上がった。いいね、シェア、コメントも比例して増えた。プロフェッショナルダッシュボードは、感…
続きを読む
続きを読む
ハナを偲ぶ(1)~装飾なき忠誠、芸も衣装も拒んだ命との共生
S. Tachibana
<前回> 【声明】本連載は、一般的なペット文化に親しんできた読者にとって、違和や反発を覚える内容を含んでいるかもしれない。私の価値観は、いわゆる一般通念とは明確に一線を画している。だがそれは、誰かを否…
続きを読む
続きを読む