食うもの、食われるもの。ライオンに獲られたヌーなどの草食獣、食べ残された屍骸に貪るように群がるハゲワシ、隙間を狙うハイエナ、強烈な争奪戦。弱肉強食の修羅場をマサイマラのサバンナで何度も何度も目撃する。
「弱肉強食」という言葉は、日本でも中国でも決してポジティブな響きではない。アジア的な倫理観では、特に弱者同情の傾向が強い。しかしながら、生存競争・優勝劣敗の法則のもとで適者生存というのが自然の摂理であって、一種の真理でもある。
弱者同情で社会的共鳴を呼びやすい。民主主義社会の制度の下でも、弱者救助の大義名分で餌にありつく政治家がしばしば見られる。公器ならまだしも、歴とした営利機関である企業の経営者(管理職)として弱者救助を唱える輩を目の当たりにすると、さぞかし疑いの目を向けざるを得ない。
倫理的次元は別としても、弱者救助にはリソースが要る。リソースには限りがある。企業内の弱者救助は原資配分の問題で、弱者に当てる原資が増えれば、その分株主が受け取る利益の減少になり、また同じ企業内の強者の取り分も相応に目減りすることになる。弱者救助、その経営者(管理職)自身が慈善事業でもやったようなご満悦の心境だろうが、他人のカネを使った慈善事業であることを忘れないでほしい。
さらに深刻な問題がある。弱者救助によって、弱者は果たして強くなるのか。野生動物を保護して餌を与え続けていると、自然の野性環境に二度と戻れなくなる。獲物を獲る力も本能もなくなるからだ。同じ食べ物でも、餌と獲物は大きく異なる。
守られる弱者は強くならない。強者に食われるから、弱者が一生懸命強くなろうとする。同じ草食獣でも、早く走るものがライオンに食われずに済み、たくましく生き延びている。
弱者が必要としているのはたった一つ、強くなることだ。それは、自身の意志力があってこその話である。働くよりも生活保護を受けたほうが得だというどっかの国は必ず崩壊の道をたどる。そして、企業も同じ、弱者保護では怠け者を生み出し、勤労意欲を低下させ、がんばって成果を出す社員にも株主にも最大な不公平をもたらす。
企業の中では、まずは公平な競争原理とルール。そして、敗者復活戦のルール。弱者に対しては最大3回のチャンスを与える。3回でも復活できなければ、申し訳ないが、辞めてもらおう。あるいは、敗者を大切にしてくれるほかの会社を一日も早く探して、そこに入ったほうがその人のためにもなる。
「弱者には救助ではなく、機会を」。私の経営コンサルティングの理念を、マサイマラのサバンナで再確認した。
今日もサバンナでは熾烈な弱肉強食の戦いが繰り広げられる。