エイプリルフールのミャンマー、嘘のような真と真のような嘘

 エイプリルフール、嘘をついても良い日に、一番怖いのは嘘をつかれるのではなく、嘘か真か判別できないことだ。

 嘘と思いたい真も、真のような嘘も横行するこの世の中。アジアを見渡せば、ミャンマー。発足して初日のスーチー政権は、早くも国際世論に懸念され、統治力の問題、人材不足の問題、少数民族の問題・・・。問題が山積する。

 少し別の目線になるが、スーチー大臣がもし、急死した場合、ミャンマーという国家の運営は成り立つのか。世の中の国々を見ても、一大臣の死亡で国家運営に即時深刻な危機を招来するほど、嘘のような真は存在し得ない。

 民主主義の闘士が政権を担当すれば、真の民主主義が実現する。そんな必然的帰結はあるのだろうか。非論理的な思考が導き出した結果はまさに、真のような嘘である。

 嘘か真か判別できない多くのミャンマー国民は、代償を払うことになろう。

コメント: エイプリルフールのミャンマー、嘘のような真と真のような嘘

  1. 興味深いお話しですね。

    確かに現代国家では一人の政治家の死で、国家が滅ぶようなことはないんでしょうかね。

    遡って、王朝の時代となると、一人のカリスマ的な指導者の死で一気に滅亡ということがよくありましたね。

    王朝の時代には愛国という観念すらなかったようだから、国民の意識というのが国家を支える大きな柱なのでしょうか。

    現代だと、中国はもとより北朝鮮ですら、指導者の死でいきなり国家が滅ぶということはないですから、立花先生のおっしゃる通りですね。

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