以前、「立花さんの考え方は一水会に近いのではないか」という質問を受けたことがある。確かに、私の主張と一水会の思想には重なる部分がある。しかし同時に、私は一水会に参加するつもりはない。ここでは、その共通点と相違点、そして私が参加しない理由を整理しておきたい。
● 共通点
第一に、まず共通点から言えば、最も大きいのは国家観である。一水会は、日本のいわゆる親米保守とは異なり、日本の主体性を重視する立場をとる。つまり、アメリカか中国かという二者択一の枠組みではなく、日本国家の意思を中心に国際関係を考える。この発想は、私の立場とも重なる。私にとって、親米も反米も、親中も反中も、いずれも手段にすぎない。重要なのは日本の国益であり、そのために状況に応じて使い分ければよいというだけの話である。
第二に、中国に対する見方にも共通点がある。日本の多くの保守言論は、反中という感情的な記号に依存しがちである。しかし一水会は、中国を文明国家として認識しつつ、日本の主体性をどう確保するかという問題として中国を捉える。この点も、私のリアリズムと大きく矛盾しない。国家間関係は、善悪の問題ではなく、力と利益の問題だからである。
第三に、大衆政治への距離感も似ている。現在の日本の保守政治の多くは、理念や国家戦略というより、支持層向けの演出やファンクラブ的動員に依存している。私が高市政権やその周辺の政治を「演劇」と評するのはそのためである。一水会もまた、この種の大衆政治とは距離を置き、国家観や思想を重視する点で独自の立場を取っている。
● 相違点
しかし、ここからが重要な相違点である。一水会は思想運動の組織であり、理念の共有を基盤とする共同体である。一方、私の関心は思想運動そのものにはない。私は制度設計や組織統治といった現実の構造に関心があり、社会を動かす力は思想ではなく、資本・制度・組織といった実体にあると考えている。理念がどれほど正しくても、現実を動かす力を持たなければ社会は変わらない。
もう一つ率直に言えば、多くの思想団体は時間が経つにつれて、社会変革の装置というより、内部の相互承認を満たす共同体になりやすい。理念を共有する人々が互いに評価し合い、正しさを確認し合う場になる。これは右派でも左派でも同じである。一水会が特別だと言うつもりはないが、この種の構造から完全に自由な思想団体はほとんど存在しない。
私はそのような組織に参加するつもりはない。理由は単純で、社会変革の実効性がほぼゼロに近いからである。思想として参考になる部分があることと、その組織に所属することとは別の話だ。私にとって重要なのは、現実の制度や組織の中で、どこまで構造に影響を与えられるかである。
思想は必要だ。しかし思想だけでは社会は動かない。社会を動かすのは、最終的には制度と力である。私はその現実から離れるつもりはない。




