スマホを落としただけなのに、データリスク回避を考えよ

 先日出張の機内で、映画『スマホを落としただけなのに』を見た。スマホを落としてからいろんな奇妙なことが起き始める、という現象から、ミステリが展開する。

 映画評論を書くつもりはない。切実な問題だ。現代人のわれわれ、日々持ち歩くスマホには、ほぼ自分自身の人生のすべてが収容されている。その「人生のすべて」はいつでも、どこでも、紛失するリスクや露出するリスク、悪用されるリスクに晒されている。それでいいのか?

 私はすでにスマホから、大量のデータとアプリを削除した。まず業務関連が最重要だ。会社データベースの接続を断ち切る。顧客情報や業務内容の流出が命取りだ。さらに、メール接続も、フェイスブックのアプリも撤去する。写真は自分と愛犬以外の人物写真を消す……。スマホはソーシャル・コネクションだ。その連結のゲートウェイをなるべく遮断していく。

 「考え過ぎ」「やり過ぎ」と言われるかもしれないが、私は仕事柄、あらゆるリスクを想定してあり得る被害を最小限に抑えることに価値を置かざるを得ない。

 不便といえば不便だ。ただ「便利」は100%の善ではない。便利には必ず不便やリスクが付きまとう。商業の世界では、「便利」を善として業者が大々的に宣伝し、商品のプロモーションをかける。彼たちは「便利」に付随するリスクといった負の側面を強調しない。今回はたまたま見た映画がきっかけになったが、それまでにはITに疎い私も深く考えなかった。反省に値する。

 ソーシャル・コネクションのゲートウェイを遮断する。というのはそもそもスマホの主旨に反する。それはそれでいい。そうした意味で、ガラケーの方がよほど安全だ。とはいっても、さすがにガラケーにもどるつもりはないが、それなりの手を打つ必要がある。

 私は仕事の関係で、マレーシア、ベトナム、日本と中国の携帯番号4つ(携帯4台)をもっている。そこから重要なデータやアプリを削除し、iPadに集約しようと考えている。スマホは持ち歩く分には便利だが、紛失するリスクも高いからだ。という案を中心に検討を進めている。

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