幸せになって死んでいく

 読者のコメント投稿をいただいた。その一節は、こう書いてある。

 「人は生まれたその瞬間から、死に向かってひた走っているようなもの」

28506_2真理似寒梅 敢侵風雪開(03年2月和歌山県みなべ町にて撮影)

 思わず、納得した。観点を一つ変えれば、世の中の見え方が違ってくる。もっと言ってしまえば、胎児が母親の子宮に出来た時点、すでに、死へのカウントが始まったのだ。

 シェイクスピアの「リヤ王」に、「人はみな泣きながら生まれてくる」という有名なセリフがある。泣きは苦痛や悲しみの表現。言われてみれば、そうだな、人生は苦しいことがほとんど、そもそも、人間は、快楽に鈍くて、苦痛に敏感な動物なのだ。自分が元々快楽だったのに、もっと快楽な他人を見て、自分が苦痛を感じてしまう、そんな馬鹿なこともある。実は、快楽そうに見られるその他人は、それほど快楽ではなかったのかもしれないが・・・

 快楽だと、笑う。笑いすぎると、涙が出る。感動するときも、泣く。人間は、泣きながら生まれ、泣きながら生き、泣きながら世を去る。私が言いたいのは、「泣き」は必ずしも「悲しみ」ではないことだ。

 私は、作家の五木寛之氏に大きな影響を受けた時期があって、それが今日の人生観に引きずり込んだ部分も相当あると思う。

 五木寛之氏と帯津良一氏の対談集「生きる勇気 死ぬ元気」に、こう語っている――「元気になって死んでいく」

 「死」というのを忌み嫌うものではない。だれにも訪れる絶対的なものだ。五木氏は、三つの真理を語った。一つ目は「人間は自分で自分の生まれ方を決められない」、二つ目は「人間の一生は日々死へ向かって進んでいく旅である」、そして、三つ目は「人生には期限がある」ということだ。

 この三つの真理に立脚すれば、ごく自然に、「元気になって死んでいく」という結論にたどり着く。もう一回考えてみよう。生まれたときから、すでに、死へのカウントが始まったということで、われわれが日常的に口にする「元気でいてね」という励ましの言葉は、置き換えれば、即ち、「元気になって死んでいく」ということになるだろう。

 通常なら、「元気でいてね」という言葉だが、結婚とか、人生の節目になると、それが、「幸せになってね」とグレードアップされる。だから、大変僭越ながらも、私はさらに欲張って、五木寛之氏の「元気になって死んでいく」を、「幸せになって死んでいく」に書き換え、自分の座右の銘に据えたのだ。

 「気持ちを隠さずに、考えていることは率直に表現し、まっすぐに生き、思い出にお金を使う」という私の生き方の根底に、このような価値観が基盤になっている。