● 論破されるメカニズム
あるSNS読者から、こんな質問をいただいた。「いろんな人が立花さんに反論してきたが、悉く論破された。なぜでしょうか。立花さんの頭脳が特別にいいのでしょうか」。
私はそうは思わない。むしろ理由はもっと単純なところにある。
第一に、多くの議論は、実は同じレベルで戦っていないのである。多くの人は「意見」で議論する。つまり好き嫌い、賛成反対、道徳的評価、感情的反応のレベルである。一方、私がやっているのは、制度や構造、力学のレベルで議論することである。議論の階層が違えば、結果も当然違ってくる。言い換えれば、戦いになっていない。
第二に、多くの議論は前提が脆弱である。人はしばしば、自分の既知の価値観――善悪、常識、正義といった固定観念――を前提に議論を組み立てる。しかしその前提自体が検証されていないことが多い。その前提が揺らげば、議論全体は一気に崩れてしまう。基礎の弱い建物と同じである。
実際にSNSにおける私への反論の多くも、その構図に近いのではないかと思う。つまり、私の指摘がその人の固定観念・常識と衝突したとき、それを自分自身の否定のように受け取ってしまう。そして脊髄反射的にその違和感に対する防御として、反論に打って出るのである。
第三に、論点の乱用がある。自分に有利そうな論拠や論点を次々と動員するが、それらの間の整合性を確認していない。論理的な文脈ができていない。結果として議論の内部に矛盾が生じる。外から一箇所突かれると、その矛盾が連鎖して議論全体が崩れる。
第四に、概念(記号)の濫用である。たとえば、民主主義、自由、正義、人権などの言葉を頻繁に使うが、その定義が曖昧なまま議論している。概念の意味が定まっていないため、議論の途中で意味がすり替わる。これでは議論の土台そのものが不安定になる。
私は特別に頭が良いわけではない。ただ、法学博士課程で確かに半年ほど法廷弁論の特訓を受けた経験がある(そのベースとなるロジカルシンキングはとことん叩き込まれた)。法廷では、前提、論点、概念、整合性が崩れた議論は一瞬で崩れる。その訓練の癖が、今の議論の仕方に残っているだけなのだと思う。
● 緻密な論理の組み立て方
弁論の特訓はどんな内容かという質問だが、私の法学博士課程時代の場合、他の学生(ほとんど弁護士)と模倣法廷弁論するのはもちろん重要だが、自分が自分の主張に反論する訓練も重点的に行われていた。
人間は、自分の主張に反論することはほぼしない。むしろ、反証を意図的に排除する確証バイアスがかかる。それに抵抗するために、あえて自分が自分の主張に反論を仕掛け、反論にさらに反論するという往復作業が日常的に行われていた。
法廷弁論の世界では、自分の主張を作ることよりも、「自分の主張を崩す論点を先に洗い出すこと」のほうが重視される。相手の反論を先に想定し、それを潰しておく。さらに、想定外の反論が来ても崩れない構造を作る。
その習慣が残り、今緻密な意見書・レポートを執筆する際に、自己反論のうえ、私は2-3系統の異なるAIを使っている。自分の意見(主張)をChatGPTに反論を求め、さらにその反論の反論をClaudeに求め、その上、自分(人間)の補強を加え、次の反論と再反論のラウンドに持っていく。
この往復作業は多い時、10往復以上も行う。
一般の記事執筆はもちろんそんなことはしないが、その癖が残っているので、僭越ながら、ロジックの組み立て力・抗反論力は当然、プロ級以上だと思う。ただし、SNSでは、素人の反論がほとんど。やや物足りなさを感じている。
● 弁論は刑法から学べ
私は博士課程前の法学修士課程時代から、よく面会で刑務所に通う超実務型の刑法教授と深く付き合っていた。先生からたくさん学んだ。「君は民商法専攻だから、刑法に関係ないと思うな。法廷弁論を刑法から学べ」と説教された。
法学の中で「弁論技術」が最も鍛えられる分野は、実は民商法ではなく刑法だからである。
民法や商法の世界では、多くの場合、議論は条文解釈や判例の射程、契約関係の整理など、比較的安定した枠組みの中で進む。論理はもちろん重要だが、議論の構造はある程度予測可能である。ところが刑事弁論はまったく違う。事実認定、証拠の評価、動機、状況、推認の連鎖など、論点が非常に流動的で、しかも一つの論理の穴が全体の結論を崩すことがある。
だから刑事弁護や検察の弁論では、常に「相手はどこを突いてくるか」を考えながら論理を組み立てる訓練が行われる。証拠の弱点、推論の飛躍、論理の矛盾を徹底的に探し、そこを攻撃する。逆に言えば、自分の主張も同じように攻撃される前提で作らなければならない。ここで鍛えられるのは単なる知識ではなく、反論を前提にした思考の筋力である。
その意味で、刑法の弁論訓練は、他分野の法学にも強い影響を与える。実際、企業法務でも政策論でも、論理の骨格を作るときの発想は刑事弁論にかなり近い。自分の主張を提示するだけでは足りない。反証の可能性を先に潰し、論理の逃げ道を塞ぎながら構造を組み立てる必要がある。
そして、「自分の主張に反論を仕掛け、その反論にさらに反論する」という私の習慣は、まさに刑事弁論の思考様式そのものである。学問の専攻とは別に、その訓練が残っていることが、議論の組み立て方に影響しているのだと思う。




