私は歴史を創る

 今日のセミナー、40名の会場に70名の出席者が詰めかけ、大混雑のなか、終わった。「ストライキ・賃上げ」というホットな主題、中国では今かつてないストの嵐に直面し、企業にとっても、コンサルタントにとっても、大きな挑戦である。

 日系テレビ局、新聞社3社の取材班を受け入れ、報道陣も加わった会場は熱い。A新聞社の取材に答え、次のようなやりとりがあった。

39524_2テレビ取材も入る、今日のセミナー会場

 A新聞 「立花さんが今言ったストライキの○○××対処法についてお聞きします。この手法を使った企業の事例について、効果はどうでしたか、是非お聞かせください」
立花 「いいえ、事例はありません」
A新聞 「ということは、立花さんご自身が考案された対処法なんでしょうか」
立花 「はい、その通りです」
A新聞 「では、立花さんご担当の企業で○○××対処法が使われていますか、その事例を是非お聞かせください」
立花 「はい、一年くらい効果を確認して、来年は必ず報告します」
A新聞 「えっ、いまのところ、まったく事例も何もないんですか」
立花 「はい、ありません。中国では大規模、そして広範囲のストライキは今回初めてです。参考できる歴史やノーハウの蓄積はありません」
A新聞 「ということは?」
立花 「私は、歴史を創ります」

 何事も、必ず「一回目」というものがある。特に情報化時代の今日、私たちは、事があるたびに事例を引っ張り出す。歴史に学ぶものは、過去の再現ではなく、過去のメカニズムから将来のベターを創り出すことだ。

 先例がなければ、失敗を恐れて何もなす術がなくなるのでは、前に進むことが出来ない。では、先例踏襲では失敗しないのか。いや、先例踏襲も先例創出も同じ失敗のリスクがある。ただ、先例踏襲で失敗した場合、より多くのエクスキューズや逃げ道が用意されているだけである。

 「いままで、こんなことはなかった・・・」。だから、何だ。だから、やってみようじゃないか。単なる先例踏襲は、思考を放棄することであり、思考の放棄は洞察力の鈍化を招き、判断の過ちを起こし、よりリスクを増大させるのみである。

 歴史に学ぶことは大変重要だ。ただし、模倣ではない。それを材料に、創造することである。歴史に学び、歴史で検証し、歴史を創造する。これは、私の哲学である。